国鉄仁堀航路跡の名残

その昔、四国には2つの国鉄航路が存在しました。
一つは宇野-高松間の宇高連絡船

瀬戸大橋の開業により使命を終え、廃止となった宇高航路。
かつてその航路を補完する目的で、戦後間もなく開かれたもう一つの連絡船がありました。

広島県仁方港と、愛媛県堀江港を結んでいたことから、その名は仁堀航路。
終戦直後の1946年に開設され、その後36年にわたり細々と運航が続けられました。

便数も少なく、また連絡船とは言いながらそれぞれの接続駅も港から離れたところにあったとか。
そのため赤字続きのローカル航路だったのだそうです。



その面影を追って、かつての航路接続駅、堀江までやってきました。
イメージ 1
現在耐用年数の問題で数を減らしつつあるという貨車転用の駅舎。
美しく再整備されているため、ここ堀江の駅舎はこの先も生き残っていくのでしょう。


駅前には商店が一つ。
イメージ 2
切れていますが看板には「JRキップ販売所」の文字も見えます。
委託キップの発売を行っているみたいですね。

ここから港までは歩いて少し距離がありました。

道なんだか路地なんだかよくわからないところを通り抜けつつ、
たどり着いたのがこちら、堀江港です。
イメージ 3
国鉄仁堀航路が廃止となったのち、
呉・松山フェリーがここと広島県阿賀港の間で運行していました。

しかしこちらも仁堀航路廃止の27年後、2009年に廃止。

そして堀江港は港としての役目を失ったためか、
かつてあったであろう建物類はすべて解体、更地となってしまったようです。


そしてその更地の隅にこんな石碑。
イメージ 4
鉄路と違い、航路というものは無くなってしまえば、
そこには何も残ることがありません。

その「路」はレールが走る地面の上でなく、海の上ですからね。
なので航路「跡」って表現はちょっと不思議なものがありますかね。

左下には国鉄本社船舶部、の文字も。
イメージ 5
対岸の仁方港にも同様の石碑があるらしいです。
せっかくこっちも来たんだから、対岸の方も行ってみたいです。


周りを更地にして、これだけ残るのというのもちょっと不思議な光景に思えます。
イメージ 6
かつての記憶として末永く保存されていくといいですね。

駅に戻る間に雨が降りだし、たどり着くまでに本降りに。
イメージ 7
タオルこそ買ったものの、ずぶぬれで列車に乗り込む羽目になってしまいました…。


今回の仁堀航路そのものはずいぶん前に廃止されたものですが、
瀬戸内航路は最近にかけて縮小が続きますね。

あまり船は好きでもないんですが、
今のうちに乗っといたほうがいいのかなぁ、とか思ったりしてます。



次回、東京へ。