【碓氷峠廃線遺構】 横川駅とその周辺

碓氷峠廃線跡遺構。
とりあえずまずは峠のふもと、横川駅から行ってみましょう。

信越本線横川駅。
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かつては補機連結のために特急含め全ての列車が停車した駅ですが、
現在は普通列車のみが行き来する、盲腸線の終着駅となってしまいました。

駅構内は2面2線に中線が1本。
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ホームは駅舎側が1番線、向かいが3番線となっています。
2番線は中線に割り振られているのでホームはありません。

左手に見えるのは補機待機線か貨物側線の名残りか…
現役時代を知らんものにはさっぱりです。


ちなみに3番線の利用は現在ではかなり少なくなっている模様。
1番線に到着した列車がそのまま折り返し、というのがほとんどみたいです。

かつて峠を越え軽井沢を目指していた線路は、車止めによって分断されています。
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断ち切られた、といった感じですね。

さらにその先は改修が進み小さな川となってしまい、既に往時をたどるのはかなり困難な状況です。
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10年の月日は軽くはないんですね。


駅横の駐車場もかつては全て線路だったというんですから、なんというか想像も付きません。
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時の流れは残酷というか…

しかしながら、旧4番線・そしてその隣の5番線に当たる線路は
未だ軽井沢方面に向かって伸びており、文化村内部へと続いています。
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そして文化村内部を通ったこの線路は遠く軽井沢まで通じているのです。
唯一の希望の光ですかね。

ちなみに旧4番線には、
かつてEF63が2両(11・12号機)と、189系9両が留置されていたこともありました。
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元々は廃線直後に丸山信号所付近に留置してあったものなのですが、
11号機の貫通扉がバーナーで焼ききられ盗難にあうなど馬鹿が続出したため、こちらに移動させたのです。


後になって11号機の貫通扉は返還(犯人が逮捕されたため)されましたが、
つい最近になるまでその部分は塗装が剥げ痛々しい状態のままでした。

編成ごと長年放置されていたため、痛々しい状態というのは11号機に限ったことでもなかったですが。


移動させた後もしばらくはそのままに放置されていたんですが、
2005年末になりEF63と189系2両が文化村内へと移動。

明けた2006年の1月9日から解体が始まり、残る車輌は全て解体されてしまいました。

こちらは解体前日(2006年1月8日)の様子。
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この際解体されたのは189系のみでなく、
現在文化村内で休憩所として使われている12系客車「くつろぎ」の残りと、部品取り?のモーターカーも共に。

以前に比べると少々駅周辺は寂しくなりました。


駅前のロクサンとあさまを見ると、あぁ横川に来たなぁ、という気分になったものでしたが…


しかし現在、この11号機と12号機はピカピカに再整備され、
文化むら内で体験運転用機関車として復活を果たしています。
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駅前でただ朽ちるに任せるのと、狭い園内だけでも現役として走ることが出来るのと…

どちらが幸せかなんて話を「モノ」に対してするのも変な話といわれるかも知れないですが、
今の方がきっとロクサンにとってはよかっただろうな、と思います。



1回で終わりそうにないですね。
とりあえずもう1回横川駅やります。