アプトの道が変わっていると聞き、
これはぜひ行かねば、ということで飛び出していきました。
これはぜひ行かねば、ということで飛び出していきました。
E2系も長野からは撤退近いんですよね。
時が経つのはあっという間だな。
時が経つのはあっという間だな。
久方ぶりの横川駅。
3年ぶりくらいになりますかね。
駅舎も改装が施されて、ちょっとイメージ変わってますね。
3年ぶりくらいになりますかね。
駅舎も改装が施されて、ちょっとイメージ変わってますね。
レンガ風の装飾がなされています。
せっかくだし久々なんで、
ちょっとくどくど与太話でも入れていこうかと。
ちょっとくどくど与太話でも入れていこうかと。
3番線から階段渡らなくていいように通路が出来たんだな…
元々分断はされていたので今更ですが、
さらに完全に分断された感がちょっと切ない。
元々分断はされていたので今更ですが、
さらに完全に分断された感がちょっと切ない。
線路跡を整備した遊歩道、アプトの道をたどっていきます。
元々このルートは東京と京都・大阪を結ぶ幹線ルートの一部として計画されました。
そのためその歴史は古く、開業は明治時代にまでさかのぼります。
元々このルートは東京と京都・大阪を結ぶ幹線ルートの一部として計画されました。
そのためその歴史は古く、開業は明治時代にまでさかのぼります。
鉄のレールに鉄の車輪。
摩擦が小さいため鉄道はエネルギーロスが少なく効率のいい輸送手段ではありますが、
またその一方でその摩擦の小ささによって、勾配に弱いという弱点もありました。
摩擦が小さいため鉄道はエネルギーロスが少なく効率のいい輸送手段ではありますが、
またその一方でその摩擦の小ささによって、勾配に弱いという弱点もありました。
当初アプト式+蒸気機関車の組み合わせで開業したこの区間。
東西幹線ルートとしての役目こそ果たすことはありませんでしたが、
それでも信越線は重要な輸送ルートに位置付けられ、
この急勾配区間はその輸送需要に応えるため改良を繰り返してきました。
東西幹線ルートとしての役目こそ果たすことはありませんでしたが、
それでも信越線は重要な輸送ルートに位置付けられ、
この急勾配区間はその輸送需要に応えるため改良を繰り返してきました。
何年か前は人気で予約もとれないとよく聞きましたが、
最近はどうなんでしょうね。
最近はどうなんでしょうね。
よく見ると片側だけがひずんでいるレールもあります。
あぁ、ここで峠を上り下りする列車を支えていたんだ、と一目でわかりますね。
鉄のレールがこんなになるほど。すごいな…
あぁ、ここで峠を上り下りする列車を支えていたんだ、と一目でわかりますね。
鉄のレールがこんなになるほど。すごいな…
横川からしばらくは下り線がトロッコ運転線として残され、上り線が遊歩道になっています。
いわゆる上り下りは東京起点になるので、長野に向かって片峠になっているこの区間は
下り線が峠を登って行き、上り線が峠を下ってくるという、ただの言葉遊びみたいなもんですがちょっと面白いお話。
いわゆる上り下りは東京起点になるので、長野に向かって片峠になっているこの区間は
下り線が峠を登って行き、上り線が峠を下ってくるという、ただの言葉遊びみたいなもんですがちょっと面白いお話。
とはいえ信号の電気系統なんかはどこまで残っているものやら。
しばらく歩くと見えてくるのは旧丸山変電所跡。
レンガ造りの建物が2棟あり、1棟が機械室、もう1棟が蓄電池室でした。
レンガ造りの建物が2棟あり、1棟が機械室、もう1棟が蓄電池室でした。
かつてはここに信号所が設けられ、ラックレールのエントランスとなっていたほか、
電化方式もここで架空線から第3軌条に切り替えられていました。
電化方式もここで架空線から第3軌条に切り替えられていました。
新線の粘着運転切り替えに伴い、全線で架空線に切り替えられた際に
この変電所は役目を終えたようです。
この変電所は役目を終えたようです。
峠を越えた先の矢ヶ崎にも同様の変電所が存在しましたが、
こちらは解体され現存しないのとはなんとも対照的です。
こちらは解体され現存しないのとはなんとも対照的です。
坂道が一段と急になります。
さて気合い入れて登らねば。
さて気合い入れて登らねば。
長い道のりになります。
記事も長くなりそうです…。
記事も長くなりそうです…。
つづく