とりあえず予備知識とケータイで呼び出した詳細地図を頼りに進むことにします。
ケータイで確認した地図でも加古川刑務所につながるルートはこの道のように見えます。
しかし家々の玄関が完全にこちらを向いていることから見ても、
既に廃止から相当の月日が経っているという事が伺えます。
既に廃止から相当の月日が経っているという事が伺えます。
道なりに進むと左手にこんな看板。
この道路がかつての鉄道跡であることをささやかながら主張しています。
この道路がかつての鉄道跡であることをささやかながら主張しています。
ちょうどこの看板の下を水路が通っているので、
何かしら遺構がないかと覗き込みましたが何もありませんでした。
何かしら遺構がないかと覗き込みましたが何もありませんでした。
世が世ならここは鉄道の立体交差になっていたのかも知れないですね。
ここから先も道なりに進むものの特に遺構なども見られません。
普通のサイクリングですねこりゃ。
普通のサイクリングですねこりゃ。
しかし別府川のひとつ先にかかる道路橋の下にこの路線最大の遺構が隠されていました。
見た限り何の変哲も無い道路橋。
見た限り何の変哲も無い道路橋。
しかし、下を覗くとガーター橋が!
ただガーター橋が残るだけで鉄道遺構と決め付けるのは早すぎるかもしれません。
ただガーター橋が残るだけで鉄道遺構と決め付けるのは早すぎるかもしれません。
しかしこのガーター橋、リベット止めになっています。
リベット止めというのは鉄橋の中では最も古典的な接合法になります。
リベット止めというのは鉄橋の中では最も古典的な接合法になります。
また、断言は出来ませんが、鉄橋の側面、縦に入っている帯状の補剛材の最下部の様子を見る限りは、
鉄道橋梁であるなら戦前までのものでないのか、と思われます。
鉄道橋梁であるなら戦前までのものでないのか、と思われます。
なのでやっぱりこれは戦前に路線建設のために据え付けられた鉄橋の名残なのでは、と思うのです。
というかそう思いたいw
というかそう思いたいw
手元の資料を必死こいて読みあさったレベルの知識で必死に考えましたw
ちなみに内部の様子はこんな感じです。
詳しい人なら年代とかすぐ分かるんでしょうかねぇ。
詳しい人なら年代とかすぐ分かるんでしょうかねぇ。
というか今思うと鉄橋の横幅から推定するという手もありでしたね。
カーブを曲がりしばらくまっすぐに進めば終着点。
おそらく線路はまっすぐ進んでいたんでしょう。
この段差を越えたところにかつて弾薬庫があったとか。
おそらく線路はまっすぐ進んでいたんでしょう。
この段差を越えたところにかつて弾薬庫があったとか。
最近建物は解体され完全に広場となっています。
この日はゲートボールをする人がたくさんでした。
この日はゲートボールをする人がたくさんでした。
まぁ、ちょっと見てみるくらいのレベルの探索にはいいかもしれません。
予備知識が無いとちょっと面白くないですけどね。
予備知識が無いとちょっと面白くないですけどね。