尾上駅跡を出ると
廃線跡はしばらく
山陽電鉄に沿って進んでいます。(地点K)
完全に道路に再利用されているため、果たしてこちらで正しいのか、という疑問を抱きそうになったりw
しかし、しばらく歩くと明らかに怪しげな空間が見えてきます。(地点L)
どうやら再利用されずに残っている
区間の様子。
しかしながらこんなものが丸々残っていたり。
4.435という文字、恐らく
加古川からの距離でしょう。
高砂線の遺構で間違いないと思います。
山陽電鉄のものではないでしょう。たぶん。
さらに進むと小さな鉄橋。(
小鉄橋1)
鉄板を敷いて上を歩けるようにしてあったんですが、
なんと鉄板の下には枕木が丸々残っていました。
廃線当時からのものかどうかは分かりませんが、
上を通るとパキパキと軽い音を立てていたのでちょっと怖かったですw
この後も2つほど小さな鉄橋が残り、
そのどちらもが枕木の上に鉄板を載せただけのほぼそのままの形です。
レンガ積みの橋台に歴史を感じますね。
さらにその少し先にはこの
廃線跡で(おそらく)最大の遺構が見えてきます。
樋ノ口橋梁。
大して大きい川でもないですが、2連のガーター橋で越えています。
橋の横にはケーブル。
この
区間、撤去されてるのはもうレールだけですね。
この角度だと分かりにくいんですが、橋脚は川上の方がとがっています。
ちょうど五角形のような形に。
水の抵抗を少しでも減らそうとするための措置でしょうか。
この鉄橋を越えると、目の前には
加古川の流れが。(地点M)
かつて
山陽電鉄の隣を通っていたはずの橋梁は跡形もありません。
橋脚跡すらも見当たらないというのは…
干潮時なら何かしら見つけられるんでしょうか…?
加古川を越えたところにはまだ新しい感じのする架道橋が。
銘板によれば、名前は朝日町架道橋。完成は昭和55年です。
廃線が昭和59年。完成からわずか4年しか使われなかったんですねぇ…
この先は遊歩道になっています。
地形は多少改変されているようですが。
鉄道路線でこんなカーブありえない。
しばらく歩くと
高砂北口駅跡に到着です。
ここが駅跡だ、と示すようなものは見当たりません。
位置的には右手に写っている建物のあたりがホームだったらしいですが…
奥の建物が全てこちらを向いていないあたり、ここが線路跡であったことが伺えるでしょうか。
続く。