【国鉄高砂線跡】その1 加古川~野口

やるよやるよといいながらも放置し続けてきた企画たち。
そろそろ手をつけようかと思います。いつまでもほっとくのもアレですし。

今回紹介するのは国鉄高砂線跡。
加古川から高砂までを結んでいた路線で、全線廃止は昭和59年。
元をたどれば大正2年、播州鉄道として開業した路線です。
その後播但鉄道に譲渡され、昭和18年に国有化され国鉄高砂線となりました。

ルーツとしてはJR加古川線三木鉄道北条鉄道
そして国鉄鍛冶屋線(廃線)などと同じ流れをくむ路線でした。


廃止から既に20年以上が経過し、残る遺構も少なくなってはいますが
一応全線を歩いてみてきたので紹介して行きたいと思います。

一応ワイワイマップの方にもこの路線について同時進行であげていきます。
参考にしてみてください。


高砂線は加古川からまず南を目指す路線でしたが、
まず駅を出てからは加古川線と同じ方向へと進んでいました。

加古川線との分岐区間には今もはっきりと分かる形で空き地が残っています。
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矢印は基本的に下り(高砂)方を示しています。
実はこの部分、かなり長い間築堤が残っていたんだとか。

この先山陽本線をオーバークロスするのに高さを稼ぐ必要があったために築堤となっていたわけです。

そのオーバークロス部分にかかっていた鉄橋は、
加古川駅周辺が高架化される平成13年まで残っていたとか。



高架化に伴って再開発が行われたんでしょうね。
駅に近いので立地としては一等地ですし、あまりこの先痕跡が残るのは期待できそうにないです。

さて、加古川線の列車を降りて先ほど見た空き地前までやってきました。(地図:地点A)
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つい最近整地されたばかり、といった印象を受ける空き地。
突堤を切り崩したぶん、かなり広い空き地が広がっています。


線路跡は進路を右手に切っていきます。(地図:地点B)
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家々が全てこちらを向いていないのも線路跡らしいところです。


小さな水路。(地図:地点C)
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何らかの遺構が残っているかも、と思ったんですが、
カメラを持って物陰に隠れるとか正直怪しすぎるので踏み込めませんでした。

後々よく考えると、このあたりは築堤だったので
こんな小さい水路程度では遺構が残りそうにもないですねw

道路が線路跡を横切っています。(地図:地点D)
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現役時代はトンネルなり何なりがあったのか、
それとも道路自体が存在しなかったのか…?

その辺は不明です。
ただ見る限り道路の方は真新しい感じに見えますけども。

山陽線を越えていたはずの地点。(地図:地点E)
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何にもありません。

この先線路跡は道路に変わっています。(地図:地点F)
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左手にはマンションも建ち並び、恐らく現役時代とは大きく風景を変えているのでしょうね。

国道2号線との交差。(地点G)
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交通量がずいぶん多いですが、現役時代はどのような感じだったんでしょか。
踏み切りだったら渋滞になるだろうし、築堤にトンネルでも開けてたんでしょうか。

この先線路跡は鶴林新道という名の道路に生まれ変わっています。
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一見左手の歩道が線路跡かの様に矢印を入れましたが、実際は関係無い模様。
道路全体が廃線跡を利用・拡張したもののようです。


しばらく歩くと、右手になにやらオブジェらしきもの。
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加古川を出て最初の中間駅・野口駅跡に到着です。

いくつか駅跡を示すものが残っています。

まず記念碑。
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実はここ、別府鉄道との接続駅でもあったのですが、そのあたりには一切触れられていません。

そして一段高くなったところにレールが置かれ、車止めと台車。さらにその向こうには駅名板が。
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この台車は何かこの路線に関係するものなんでしょうか?

どちらにしろ台車だけというのはなんだか珍しい気もします。

一段高くしてあるのはプラットホームでも意識したんですかね。
まぁその辺はよく分からないところですが。







続く。