夏場は日当たり関係なく真上から照りつける太陽にうんざりもしますがw
このような看板もそのまま残っています。
現役時の保線員用の点検項目の看板ですかね。
現役時の保線員用の点検項目の看板ですかね。
地べたを這うのはマニアくらいですかw
丸山変電所跡。手前が2号棟蓄電池室。奥が1号棟機械室です。
横川の火力発電所で作った電気をここに溜め、必要に応じて給電していたのだとか。
横川からは1.8km。
ちょっと勾配がきついですが、まぁ軽く歩いてこれる距離です。
ちなみにここまででキツイって言ってたらこの先はまず歩けません。
横川の火力発電所で作った電気をここに溜め、必要に応じて給電していたのだとか。
横川からは1.8km。
ちょっと勾配がきついですが、まぁ軽く歩いてこれる距離です。
ちなみにここまででキツイって言ってたらこの先はまず歩けません。
そんなにいないとは思いますが、ここまでだけで十分厳しい、という人は
トロッコ列車でここまで来るのも一つの手です。
変電所前にトロッコ列車の中間駅「まるやま」駅が設置されているのです。
開業は2005年3月26日。
トロッコ列車でここまで来るのも一つの手です。
変電所前にトロッコ列車の中間駅「まるやま」駅が設置されているのです。
開業は2005年3月26日。
7年ぶりの鉄道運行復活であり、
碓氷線にとっては熊ノ平駅信号所降格以来39年ぶりの中間駅復活ですw
碓氷線にとっては熊ノ平駅信号所降格以来39年ぶりの中間駅復活ですw
中間駅、といっていいのかどうか知らないですけど。
ちなみにかつてこのあたりは信号場が設置されており、
その頃のホーム(客扱いは無かった)の名残りを変電所の建物、2号棟の前に見ることが出来ます。
信号所時代の配線は結構複雑だったようで、資料写真には川の方に安全側線、
変電所の方向になにやら引込み線のようなものも写っています。
その頃のホーム(客扱いは無かった)の名残りを変電所の建物、2号棟の前に見ることが出来ます。
信号所時代の配線は結構複雑だったようで、資料写真には川の方に安全側線、
変電所の方向になにやら引込み線のようなものも写っています。
このホーム跡はその引込み線に付帯するものだったようです。
図で表すとこんな感じ。赤がこのホーム。黒は線路です。
青は変電所跡です。
青は変電所跡です。
ラックレールのエントランス(入り口)があったということで色々な設備があったのだろうと思いますが、
これは一体何の目的があったのだろう、というような引込み線ですね。
写真を見る限りではホントに短い。ホームがあるのも何のためなのか。
これは一体何の目的があったのだろう、というような引込み線ですね。
写真を見る限りではホントに短い。ホームがあるのも何のためなのか。
ちなみにこの駅から横川方にはもう1本引込み線がありました。
その名残りがこれ。
鳥居の横に立つ看板に「避線跡」とあります。
その名残りがこれ。
鳥居の横に立つ看板に「避線跡」とあります。
まぁ…実際に使ってたらとんでもない光景になっていたでしょうね。
ブレーキが利かず高速で坂を下ってきた列車がそのまま逆の急勾配にガツーン!と。
ブレーキが利かず高速で坂を下ってきた列車がそのまま逆の急勾配にガツーン!と。
何かぎゅっと列車が圧縮されそう…
本線を支障しないから復旧は早いだろうけどw
でもホントに最後の手段って感じです。
でもホントに最後の手段って感じです。
ちなみにこの避線用地は昭和11年には民間に払い下げられています。
当然廃止はそれより早かったでしょうが、少なくとも40年近くは設置されていた計算になるようです。
当然廃止はそれより早かったでしょうが、少なくとも40年近くは設置されていた計算になるようです。
この40年の間に使用する機会は無かったのではないかと思われますけど。
廃止以後70年以上が経過しており、どの程度跡地が残っているのかは不明です。
こういうのをみちゃうとちょっと山の方には近付きたくないんですよねw
熊はねぇ…いくらなんでも。
こういうのをみちゃうとちょっと山の方には近付きたくないんですよねw
熊はねぇ…いくらなんでも。
廃線跡以外でも色々みるものあって楽しいところかもしれません。
うまくまとめるのはもうなんだか放棄しました。
次回は旧線第1橋梁跡と「峠の湯」駅周辺で。
次回は旧線第1橋梁跡と「峠の湯」駅周辺で。