姫路モノレール跡最大の遺構、大将軍駅解体が決定…

ちょっと衝撃的なニュースです。

モノレール軌道貫通、駅もあったビル解体へ

 大阪万博(1970年)の4年前に全国で初めて建設された公営モノレールの軌道が貫通する兵庫県姫路市内の集合住宅(10階建て)が解体されることになった。
 貫通部分の耐震性が弱いため大地震で倒壊する恐れがあるとして、所有する都市再生機構(UR)が決めた。建築当時は「画期的なデザイン」とされたが、高度経済成長期の斬新な造りがあだとなった。
 モノレールは66年に開かれた姫路大博覧会に合わせ、市が14億円を投じて整備。当時の国鉄姫路駅から、会場だった市内の手柄山中央公園間の約1・8キロを結び、同年5月から運行したが、利用客が伸びず、8年後に休止。79年に廃止された。
 ビルは建設時に市が1~4階を買い取り、3、4階を貫いて駅ホームに。1、2階に店舗が入った時期もあったが、現在は市が倉庫として利用し、5~10階のマンションには77戸のうち約3分の2が入居する。
 モノレール跡は「昭和遺産」として鉄道ファンらに知られ、「ビルの中を見たい」との問い合わせもあるという。しかし、阪神大震災後に行われた耐震診断で「震度6~7で倒壊・崩壊の危険性あり」とされ、URは補強を検討していたが、コスト面などから断念した。
(2013年6月11日18時00分 読売新聞)

姫路モノレール
1本のレールを車輪で両側から挟み込んで走行する、
モノレールとしては珍しい鉄輪式のシステムを採用していました。

会社の名前を取ってロッキード式。
他のモノレールがゴムタイヤ駆動なのに対し、鉄輪式のこのシステムはより高速性に優れ、
理論上は時速160kmもの高速運転が可能だったのだそうです。

もっともその特異さ故、部品の確保が難しいことが大きな欠点として残ってしまいました。

また、いくら160km/hでの走行が可能なシステムとは言え、
まず開業にこぎつけたのは博覧会にかこつけたわずか1.8kmのみ。

徒歩30分の距離では自慢の高速性を生かせようはずもなく、
またそんな距離に高い運賃を払って乗ろうという人間がそうそういるわけもなく。

利用人員は事前の予想であった100万の半数にさえ届くことなく。
開業後5年で黒字を目指すとした計画とは裏腹に、
多くの赤字を積み上げて行くことになってしまうのです。

そんなモノレール唯一の中間駅が今回ニュースになった、ここ大将軍駅
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非常に先進的な構造です。住居と駅が一体化し、下部にはテナント。
3,4階部分を吹き抜けとし、そこにモノレールを通しているのです。
駅まで何分とかそんな次元じゃありません。そこはもう駅なのです。

こんなに便利な住居は無いでしょう。



…その路線が通勤先に通じていれば、の話ですが。


路線の全長でさえわずかに1.8km。
その中間駅である大将軍はモノレール姫路駅からわずか500m。

たかだかこの程度の距離を、階段の上り下りが必須なモノレールに、
それも日常的に乗ろう、なんていう人はまずいないでしょう。

反対の終着駅であった手柄山はあくまで観光施設。
たまに遊びに行くには便利だったかもしれませんが、それにしたって1.3km。
まぁ、話のタネに片道乗って、もう片道は歩くくらいでちょうどいいくらいです。

案の定、と言ってはなんですが、
この駅の利用は伸び悩んだそうで、開業2年で休止駅となってしまったそうです。

モノレール路線自体も赤字を積み重ね、
開業から8年後にはシステムを提供した日本ロッキード・モノレールが解散してしまいます。

当時最先端の交通システムであったモノレール。
どのシステムが企画として採用されるかはいわば競争であり、
ロッキード・モノレールの解散はまさにその競争に敗れた結果だったのでしょう。

会社の解散により部品の確保など、車両維持が困難となったため、ここで姫路市はモノレールを休止。
そしてその5年後には路線が正式に廃止されてしまいます。

40年以上も昔に、わずか8年しか走れなかったモノレールの、
最初のわずか2年しか利用されなかった駅。

住居としての使い道があったとはいえ、
これが今まで残っていたことが奇跡的なのかもしれません。



たとえば、これがもっと先まで最初から開業していれば。
飾磨、広畑など工業地帯まで伸びていたなら、そこへの通勤の足として需要はあったのかもしれません。

もっとも山陽電鉄国鉄飾磨線と既に競争相手は存在したわけですけどね。
それに、そこまで延伸しても肝心の列車は単線のモノレールがピストン輸送、では、
どこまで通勤の需要に耐えられるのかも微妙です。

逆に姫路城くらいまで伸びてた方が、遊覧路線としての需要はあったのかもしれませんね。
描いた夢こそ大きかったものの、その夢に追いつけるものが作れなかった。

出来上がったもの、それだけを評価するなら、
これはやはり交通機関としては成功ではなかったと評するしかないのでしょう。


終着の手柄山が大きくリニューアルされ37年ぶりに日の目を見たのが一昨年。
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次は何とか大将軍を、と期待していたんですが…

残念ですね。
実に残念です。

どの程度のスケジュールになるのかは分かりませんが、
なんとか一度は最後の姿を見ておきたいものですね。