梅田から阪急に乗り換え、王子公園駅へ向かいます。
駅に到着直前。
車窓右手に引き込み線が見えています。
車窓右手に引き込み線が見えています。
さほど長さのあるものでもありません。
ここが次の目的地のはじまり。
ここが次の目的地のはじまり。
かつて阪急が神戸-大阪間の路線を開業させるにあたって、
神戸市は三ノ宮への乗り入れは地下線で建設すること、と条件をつけました。
神戸市は三ノ宮への乗り入れは地下線で建設すること、と条件をつけました。
神戸は東西に広い、というよりはむしろ南北に狭い街です。
それをさらに分断させられたのじゃたまらない、というのが神戸市の主張だったのでしょうか。
それをさらに分断させられたのじゃたまらない、というのが神戸市の主張だったのでしょうか。
しかし地下線建設は膨大な建設費がかかります。
はい分かりました、と素直に受け入れられるものでは到底ありません。、
はい分かりました、と素直に受け入れられるものでは到底ありません。、
それでは、ということで阪急は三ノ宮への乗り入れでなく、
別の地点へターミナルを設けることを選んだのでした。
別の地点へターミナルを設けることを選んだのでした。
そしてそのターミナルへと延びていた最初の路線の名残が、この引き込み線なのです。
引き込み線だけ見るとそんな感じには見えませんが、
こうして終端部に来てみると、明らかに線路が分断されたのが見て取れます。
橋台ですよね。
こうして終端部に来てみると、明らかに線路が分断されたのが見て取れます。
橋台ですよね。
しかし痕跡残るはここまで。
その先は完全に消滅しているようです。
駐輪場になっていますね。
その先は完全に消滅しているようです。
駐輪場になっていますね。
さて、地下線での三ノ宮乗り換えを求められ、それを拒否した阪急。
しかし当然三ノ宮への乗り入れを諦めたわけではありません。
しかし当然三ノ宮への乗り入れを諦めたわけではありません。
開業後も粘り強く交渉を重ねること13年、ついに三ノ宮への高架乗り入れが認められたのでした。
そうすると、旧ターミナルはどうなったか。
かつての本線は哀れ、ここ王子公園(当時は西灘)と、
神戸改め上筒井駅を結ぶ支線へと成り下がってしまったのです。
かつての本線は哀れ、ここ王子公園(当時は西灘)と、
神戸改め上筒井駅を結ぶ支線へと成り下がってしまったのです。
というわけで前置き長くなりましたが、
その支線跡を少しでもたどってみようか、というのが今回の目的なのです。
その支線跡を少しでもたどってみようか、というのが今回の目的なのです。
現在の駅前の地図がこちら。
まっすぐ上に伸びていく現在線。
まっすぐ上に伸びていく現在線。
対して怪しいのは…
駅から「C」の文字の方に伸びていく細い道ですかね。
駅から「C」の文字の方に伸びていく細い道ですかね。
さて、歩いていくことにしましょう。
あの道が予測通り旧線跡だとするならば、このあたりで右手に離れて行ったのでしょうか。
そう見ると素直にルートがつながるように見えます。
そう見ると素直にルートがつながるように見えます。
それでも、子供の頃に親に手をひかれてきたこの道が、
かつて線路だったのかもしれない、と、そう思うだけでなんだかワクワクもしてくるのです。
かつて線路だったのかもしれない、と、そう思うだけでなんだかワクワクもしてくるのです。
そして歩道は太い道路に分断されてしまいます。
しかし延長線上に、ちょうど道路があるのが何とも怪しい。
右手に無駄な三角形の土地があるのがこれまた怪しい。
右手に無駄な三角形の土地があるのがこれまた怪しい。
んなこと言い出したらなんでも怪しく見えるって話ではありますが。
しかしその先、完っ全に住宅街。
家々の入り口も思いっきりこちらを向いています。
家々の入り口も思いっきりこちらを向いています。
既に何の痕跡も残っていません。
地形的にはこの道路か、そうでなけりゃ右手の住宅が線路跡だと思うのですが。
地形的にはこの道路か、そうでなけりゃ右手の住宅が線路跡だと思うのですが。
めぼしいものも見つけられず、県福祉センターへ到着。
完全に再開発で姿を消してしまったのでしょうね。
まぁ、地図みて予想できた範囲ではありましたが。
完全に再開発で姿を消してしまったのでしょうね。
まぁ、地図みて予想できた範囲ではありましたが。
こういうのは実際に歩いて確かめるのが楽しいんです。
例えそこに何もなかったとしても。
例えそこに何もなかったとしても。
つづく