駅舎はなく、駅入り口はこんな感じ。
こんなところを新幹線車輌が走るというのだから驚きです。
こんなところを新幹線車輌が走るというのだから驚きです。
列車を降りたあたりから雨がぱらぱら。
嫌な天気だなぁ。
嫌な天気だなぁ。
多少の雨は気にせず突き進むことにしました。
しかしこの運命を変えたのが太平洋戦争でした。
そして戦後。
建設中止となった生橋線、そして休止された橋場線を再び建設しようという気運が高まり、
この地に鉄路が戻ってくることとなる、はずでした。
建設中止となった生橋線、そして休止された橋場線を再び建設しようという気運が高まり、
この地に鉄路が戻ってくることとなる、はずでした。
結論から言うと、橋場駅に再び鉄路が帰ってくることはありませんでした。
さらに生保内線のルートも橋場~生保内から、雫石~生保内に変更。
当初の計画では現在の国道46号線に沿ったようなルートだったそうですが、
生保内からの路線は橋場ではなく、真っ直ぐ赤渕を目指すルートへと変更され、
赤渕から橋場の間に線路が敷かれることはなくなったのです。
当初の計画では現在の国道46号線に沿ったようなルートだったそうですが、
生保内からの路線は橋場ではなく、真っ直ぐ赤渕を目指すルートへと変更され、
赤渕から橋場の間に線路が敷かれることはなくなったのです。
しかしその華々しさの一方で、橋場線の扱いはまるで忘れ去られたかのようでした。
何せ、休止された1944年から2007年の今に到るまで、正式に「廃止」が宣言されていないのです。
何せ、休止された1944年から2007年の今に到るまで、正式に「廃止」が宣言されていないのです。
しかし現在も休止中か、というとそんなことはありません。
あくまで正式に「廃止」が宣言されていないだけであり、
国鉄からJRに移管されなかった時点でこの路線、そして橋場駅は廃止されたということになっています。
あくまで正式に「廃止」が宣言されていないだけであり、
国鉄からJRに移管されなかった時点でこの路線、そして橋場駅は廃止されたということになっています。
さて前置きが果てしなく長くなりました。
今回目指すのはその放棄された終着駅、橋場!
今回目指すのはその放棄された終着駅、橋場!
よっしゃ行くぞー!、と気合を入れて歩き出したはいいですが…
国道から線路があったはずの右手を。
民家の裏手、ネットの向こうに平坦なスペースが存在するようにも見えますが…
果たしてこれは遺構なのかどうか。
民家の裏手、ネットの向こうに平坦なスペースが存在するようにも見えますが…
果たしてこれは遺構なのかどうか。
雨がさらに強くなってきました。
着替えた後の服を入れた衣類圧縮袋を頭の上に掲げ、
さらには一度着たTシャツをその上に被せるようにして少しでも雨を防ぐという不審極まりない格好で先へ。
さらには一度着たTシャツをその上に被せるようにして少しでも雨を防ぐという不審極まりない格好で先へ。
ここまで来て多少の雨くらいで引き下がれるかい。
しばらく歩くとどうやら路盤跡らしきものが見えてきました。
右の民家が立っている場所が築堤跡に見えるんですが。
前後の様子もなんか線路跡っぽいです。
右の民家が立っている場所が築堤跡に見えるんですが。
前後の様子もなんか線路跡っぽいです。
でも多少地形が改変されてるような気もします。
ていうかなんか平場が見えたらもう廃線跡に見えそうな勢いなんですけども。
全体に写真の質が低くて申し訳ないです。
日の出直後の雨降りということで写真撮るには最悪でした。
日の出直後の雨降りということで写真撮るには最悪でした。
さて、線路跡(?]が見え、雨でビチャビチャに濡れて下がったテンションもまた上がってきました。
橋場駅はもうすぐです。
橋場駅はもうすぐです。
続く。