善通寺に残る、讃岐鉄道琴平駅?

ツイッターで見かけたお話。

 

香川県善通寺の山門横に、

讃岐鉄道琴平駅が移築されている、というのです。

 

母方の祖父母が善通寺在住であったこともあり、

何度も通った馴染みのある風景。

 

見覚えある建物がまさか、の思いで、

思わず現地へ確認に飛び出しました。

 


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ボロい木造2階建ての建物。

1階は喫茶店が入っているほか、

右手側にもかつては何かお店が入っていたかと記憶しています。

 

建物中央の階段は、

かつて貴賓室であった2階に繋がるもの、なんて言説も。

 

何度も見てきたこの建物が本当に琴平駅なのか…?
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言われて見れば、窓の処理、軒下の支えがちょっと普通の住宅とは違って、

手間がかけられた装飾になっているような。

 

色々検索してみると、

初代多度津駅の窓部と酷似してるんですよね。

 

まさかまさか、こんなところにそんな貴重なものがあったとは。

ただただ驚くばかりです。

 

鬼瓦部分になにか社紋とか残ってないか、とズーム。


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うーん。なさそう。

 

裏面は増築で面影もかなり失われているようで。


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しかしこちらの光景がなんとも衝撃的。

中央部の増築部を除いて見てみると、

まさにこれは駅舎正面。

 

当時の琴平駅多度津駅の写真とばっちり当てはまる建物形状に見えます。

まぁ、錯覚でしかなかったことが後に判明しますが。

 

しかしこれがいつどのような経緯でここに、というのが気になり、

帰宅してから色々と調べてみることに。

 

そこでちょっと突き当たってしまった事態がありました。

 

JR四国が四国鉄道100年を記念して著した「四鉄史」によると。

 

琴平駅、現在の建物は3代目にあたります。

同一位置で建てられたものではなく、初代、2代目の駅舎は現在より少し西方に位置していました。

 

初代琴平駅については明治31年に一部を焼失、復元するも、明治44年、再度の火災により全焼した、と記されています。

この時点でこの建物は初代の物ではない、ということになります。

 

というか、実は全焼したしない以前の問題として、

初代琴平駅は「平屋建て」であると記されています。

 

では2代目駅舎か、というと、これまた疑問符。

2代目駅舎についても「初代と同様の平屋建て」であった、と記されており、

これでこの建物が琴平駅であった、というのは否定されそうなところ、なのですが。

 

2代目駅舎は「その後、職員寮に転用されたと伝わる」との記載。

 

 

さてこれがちょっとわからない。

というのも、旧琴平駅の使用は大正12年5月まで。

しかしその年8月には同位置に私鉄、琴平参宮電鉄が善通寺ー琴平間を延伸開業しているのです。

 

 

職員寮に転用、するわけない、というか、

出来るわけないのでは…

もちろん移築の上で職員寮に転用し、

それをさらに移築した可能性が無いわけではないんですけども。

 

それにしたって、それ追えないか?という疑問。

現物が残っているのに、「職員寮に転用されたと伝わる」で終わるものなのか。

 

四鉄史の記述も微妙に信用出来ねぇ〜、と頭を抱えたくなります。

 

 

となると、2代目駅舎が実は2階建てだったのでは?という展開も

期待されるところはあるんですが、

四鉄史には建物の特徴が妙に詳細に記載されており、

どうもそれにはこの建物が当てはまらない感じ。

 

木造平屋建て、日本瓦葺駅舎であるが、明るい感じの洋風建築。

屋根には三角形の化粧換気口が設けられ、

上下窓、厚い鎧下見にペイント塗装を施していた、と。

 

洋風建築かどうかもよくわからないけど、

少なくとも屋根に化粧換気口はなさそうですよね。

 

どこを信用してどこを信用しないのか。

さじ加減がもうわかんなくなりそうな話にはなっています。

 

じゃあこの建物、なんやねん、というところなんですが、

実のところ、現在営業中の喫茶店に入店してお話を聞いた人のブログがありまして。

jaimelamusique.blog.fc2.com

 

これによれば、

やはりというかなんというか、これは駅舎そのものではない、とのこと。

 

駅舎っぽいぞ、とか、

多度津駅に似てるぞ、とかいうのは悲しい勘違いだったようで。

 

残念な思いもありますが、

それと同時に讃岐鉄道琴平駅、という四国鉄道史に残るべき建物のはずが、

全く重要視されていない現状には納得がいきますね。

 

 

駅員の部屋や貴賓室があった、とのことですが、

いわゆる駅事務室が駅舎とは別棟であったような形だったんでしょうか。

 

琴平駅のどこにあった建物なのかな、というのは気になるところ。

そんなにいっぱい建物あるものかな、という疑問もあるのです。

 

現在の琴平駅舎や、終着駅としてということを思うと

ある程度の格を想像しそうになりますが。

 

多度津駅に比べて琴平駅ってかなり格が低いように見えるんですよね。

そもそも開業当初の多度津は本社を兼ねていたとはいえ2階建て。

対して琴平は平屋建てで、軒が低くて貧弱な感じであった、とさえ記されています。

 

駅舎本屋以外に駅長官舎があったらしき旨は四鉄史にも記されており、

駅舎本屋、駅長官舎、そしてこの建物、となると、

ちょっと建物多くないか、という疑問。

 

ではこれは駅長官舎だったのか、というと、

いやさすがに官舎、生活空間と貴賓室一緒にしないのでは。

 

この辺はちょっと調査を進めてなにか裏付けを見つけたいな、と思うところ。

自分の感覚だけで話をしても何の意味もないですし。

 

 

惜しいのは、個人的な話ではありますけど、

善通寺在住であった祖父母に話を聞けなかったことですかね。

 

祖父が昨年亡くなり、

祖母も認知症の症状がかなり強く。

 

もっとしっかりしていたころに話を聞けていれば。

 

祖父母本人らが知らずとも、永くこの町で暮らしてきた人だったので、

知り合いのつてで何か知ることも出来たでしょう。

 

コミュニケーションをとるいい機会にもなっただろうに。