あれから5年が経って

25日で尼崎脱線事故から丸5年ということで。
マスコミやなんやでそんな話題がいろいろありましたね。

当時の自分は大学に入学したばかりで。
登校前にニュースを見て呆然としたのを覚えています。

確か他学部の同級生も一人亡くなってたな。

あの当時は今の自分がこうして鉄道の現場でお仕事するだなんて、まるで想像もしてなかったです。
まぁ生憎というかなんというか、地元JR西日本でなく、
同じ鉄道業というだけのあんまり縁もない遠くの会社に勤めている現状ですけども。


そんな現在、各所に上がる遺族や被害者の方の言葉なんかを見てると、
本当に大変な事故だったのだということを改めて実感するその一方で、
心のどこかにちょっとした違和感を覚える自分がいたりします。

JR西が憎い、許せない、JRと戦っていく…

いや、分かります。
その気持ちは分かるんです。


でも何だろう。
「JR」とひとくくりにしてるのって…なんだか。

事故から5年が経ちました。
その間JR西は毎年1000人規模で新規採用を続けています。

単純に考えてももう5000人ですよ。
今の社員数は約30000人。

6人に1人はもう事故後の入社。まるで関係のなかった人々。
「JR」とひとくくりにしたとき、その言葉はそんな人たちにまで届くんですよね。

それって…どうなんだろうな、って。


当たり前だけど時間って流れてるんですよね。
いつまでもおんなじものなんてなくて。

そらダメ大学生がダメ社会人になるほどなんだから。


ただまぁここまで考えるとね。
そうやって言ってる人は、時間の流れに乗れていないんだな、ということに気づくんですよね。
そんな人たちをその場に留めたものは結局あの事故なわけで。

区切りをつけてまた再び先に進むことの難しさってのはなんだか考えさせられますね。



ま、頑張らんといかんわなと思うわけですよ。
自分はJR西の社員じゃないけども。

電車走らせてる会社ってのはおんなじで。
何かあれば大勢の人に影響が及ぶってのもおんなじで。


あれはよその会社の起こしたことだから、なんて言っちゃダメですよね。


何が言いたいのかちょっと整理がうまくつけられないですけど。
とりあえずそんな感じのことをぼんやり色々と考えたのでした。