15年目の1・17

今年もまたこの日が来ましたねー。
阪神大震災からこれで丸15年。

いやはや、時が経つってのは早いもんですな。


当時小学2年生だった自分が社会人としてお仕事してるんだもんなぁ。
それも地元神戸を遠く離れて。
やりたくないって当時は言ってた鉄道の仕事で。

うーん。当時の自分が聞いたらびっくりするだろうな。


正直なとこ言うと、やっぱ地元帰って何かしらの施設とか行ってみたかったです。
残念ながらお仕事で。


まぁ、その辺は割と融通の聞く仕事なんで、休もうと思えば休めましたけどね。
それをしなかったってのはまぁ結局その程度にしか考えてないということで。


だって被害も大したことなかったですしね。
食器が割れてテレビが飛んで…
まぁ後はライフラインがしばらくストップした程度で。
電気が一番早くて、次が水道だったかな。
ガスはちょっと時間かかりましたねー。
もう正確な日数も定かで無いです。


生活圏内全ての建物にヒビが入ってたり、ちょっと大きい公園は全て仮設住宅で埋め尽されてたり…
叔父の家が傾いて、引き戸が勝手に開くようになった、なんてこともあったっけ。

冷静に考えれば異常な状況だし、その中で生活をしてきた訳ですけど…
まぁ、生きてますからね。自分も周りの人間も知ってる限りは。

大したこと無いですよ。
ひと月もすれば、少なくとも当時小学2年の自分の生きる範囲に不自由は無かったですから。

でも、この歳になると不思議と考えることが増えてくるんですよね。
当時は思いもしなかったこと。

あの一面の仮設住宅
どこから来た人がどんな風に生活をして、
そしてどこへと行ったのか…

近くで生活してたのに知らないんですよね。


今だと鉄道の仕事なんかもどうだったんだろうとか考えたりしますね。


それぞれにそれぞれの震災体験があって、それは聞かない限りは絶対分からないものだから、
後世に伝えていくとかそんな高尚なアレでは無いですけども、これを機に色んな人が色んなこと話してくれたらいいなぁ、と思います。


そういや、あの年の自由研究、被災から半年くらい経った神戸を写真でまとめた記憶があります。
あの時のネガってまだあるのかなぁ。新長田の仮駅とか、今からすると貴重な記録なはずだけど…。
また実家帰ったら探してみようかと思います。




思い返すと、ホントに自分の記憶って薄れてきてるんですよねぇ。
忘れられない、とか簡単にいったりするけど。
なんかそれがちょっと寂しいです。