横断鉄路の夢の跡 高森湧水トンネル公園   九州満喫の旅 その16

駅舎内に高森湧水トンネル公園までの案内図がありました。
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この「公園」が高森線・高千穂線をつなぎ、
九州横断鉄路を形成するはずだったトンネルなのです。

熊本-宮崎を結ぶ九州横断鉄路は軍事産業路線として計画され、
まず昭和3年にこの高森線が立野-高森間で開業。
開業当初は宮地線と称したそうです。

高千穂側からの鉄路は順調には進みませんでした。
まず昭和10年に延岡-日向岡元間が日之影線として開業。
さらに昭和11年、12年、14年と小刻みに延伸を重ね、日之影に到達。

しかし戦争の激化により、工事はそこからしばらくの間停滞。
残る日之影-高森間の建設が決定し、まず高千穂までの延伸開業を果たしたのは、
戦後30年近くを経た昭和47年のこととなりました。

翌年、昭和48年から高千穂-高森間27.0kmの建設が着工。
完成は昭和52年予定とされました。

ところが。
昭和50年以降、阿蘇の外輪山越えを目指し高森側からの掘削が続く高森トンネルで、
幾度となく異常出水事故が発生。その量は最大で毎分36トンにも及んだそうです。

トンネル掘削により、地下水脈を切断してしまったのです。
ここ高森町一帯では湧水が涸れ、断水騒ぎにまで発展してしまいました。

結果、トンネル工事は一時中断に追い込まれるのです。


さらに昭和55年には国鉄再建法の成立により、
現在の内子線鹿島臨海鉄道線以外の予算が凍結され、トンネル以外の工事も全面的に中止。

高森線・高千穂線とも第3セクターに移管され存続こそしたものの、
その後工事が再開されることはなく。

平成17年には台風14号で高千穂線が甚大な被害を受け、
復旧を断念、廃線となったことから、完全に熊本-宮崎を結ぶ鉄路の夢は途絶えたのでした。


少し歩いてトンネル入り口。
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こいのぼりがはためいています。

熊本方を見るとこんな感じ。
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全線開通の折には、この付近に高森駅が移転してくる予定だったのだそうです。
交換設備なんかが設けられる予定だったんですかね。


トンネル入り口前。
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「湧水トンネル公園」の名の通り、
現在もなお、毎分32トンもの水が湧きだし続けているのだそうです。


翼壁の表示。
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こうして見ると廃線跡みたいですね。


掘り進められた2050mのうち、550mが公園として公開されているとのこと。

しかししかし。
到着時刻が遅かったため営業終了… orz

無念です。

線路が通るはずだった場所は水路に。
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不思議な光景ですね。

トンネルのすぐ向こうはもう阿蘇の外輪山です。
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この30km向こうが高千穂。
自転車でもあれば、高千穂鉄道が現役であれば、ここを越えるなんてのも面白かったかもしれませんね。

公園を出て駐車場を抜けると、すぐそこに高森線の線路が見えてきます。
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右手へと曲がっている線路は、本来こちらに向けて伸びてくるはずでした。

このあたりが分岐点ですかね。
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仮に鉄路がつながっていたとして。
そしたらここにはどんな列車が走っていたんでしょうね。




とりあえず高森へ戻ります。










つづく