三木鉄道跡歩き その5(終) 国包と厄神

撤去された宗佐避溢橋。
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高さ制限3.6mももはや関係ないのです。

この橋台もいずれは撤去されちゃうのかな。


踏み切りまわりは明らかにいじられた痕跡があるんだけど、
以前の姿を覚えていないので具体的に何をどうしたのかよく分からなかったり。
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たぶんこの辺の電気部品ケースをどうこうしたんだとは思うんだが。


その踏切から厄神方を振り返ったところ。
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ここもまたあるはずだったものが消滅してますね…

国包駅跡前。
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いやー… マジかよ。
なーんも無いですね。

土の盛り上がりがかつてのホーム跡を連想させるかどうか微妙ってくらい。


独特のカプセル駅舎なども、もはや影も形も。
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ていうか駅舎スペースこんなに狭かったんだな…

つーかホームまで崩しちゃうって気合入った撤去だよなぁ。
ホーム跡って一番残りそうな気もするんだけど。


加古川線車両基地の横を行く廃線跡
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もうこうやって見ると線路があった様には見えんですねぇ。
写真がアレなのもあるけども。


厄神駅跨線橋から。
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レールはもう綺麗さっぱり。

反対を見ると一部レールが残っているのが切ないです。
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この部分は三木鉄道でなくJR西日本だということなんでしょうけど。


かつての三木鉄道ホームは全てフェンスで封鎖済み。
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もうここから鉄道が出ていたとか言われてもなかなか理解できない感じですね。


0kmポストが消えていました。
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撤去された痕跡残ってますね。

当たり前ながら駅名板も無いのです。
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枠を撤去しないのは何でなのかしら。

ちょうど厄神止まりの電車が。
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三木鉄道に来るたびこの「眼」とは縁があるような気がします。
足しげく通ったころを思い出してちょっと懐かしくなりました。

ちなみにこの「厄神止まり」もある意味三木鉄道の痕跡。
かつての三木線直通列車の名残なのです。




とりあえず一通り歩いてしんどかったです。
歩いても歩いても見えてくるのは撤去されていく三木鉄道の姿ばかり、というのもまた。
分かってて歩いてるんですけども。


またいつか訪れることは…あるのか無いのか。
ただもう厄神で18切符を買う機会は無いですからね。

その辺考えるとどうなるかな、という気はします。
そういいながらもまたやってきそうな気もしますけどw