【東海道線旧線】 揖斐川橋梁


今回紹介するのは東海道線の旧線。
明治19年、東海道線が未だ全通していなかったころからの鉄橋が現在も残っているのです。


それがこちら。
写真ちょっと暗すぎですが。
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手前のクリーム色が初代揖斐川橋梁。奥が現在線の3代目揖斐川橋梁です。
2代目は撤去されてしまいました。

現在線の車窓からもよく見えるので印象に残っている人もいるんではないかと。

ちなみに初代は2008年12月に重要文化財指定を受けています。
設計はイギリス人技師ポーナル氏。碓氷峠のめがね橋を設計したのと同じ人です。
というか日本鉄道史において初期の建造物について、この人の名前ってしょっちゅう見ます。


初代橋梁の特徴的なのはこの部分。
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それぞれの部材の接合がピンによるものとなっています。
いわゆるピントラス橋。トラス橋の中ではもっとも古い形式の仕組みです。

内部は完全に人道橋へと生まれ変わっています。
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鉄道用トラス橋の中を歩くってのは大阪の赤川仮橋以来だなぁ。

高さはこちらの方が幾分低く感じますし、単線用なので幅も狭く全体に窮屈な感じがします。
車両の大きさも小さかったでしょうし、
そもそも非電化であったらそこまで高さも必要なかったんでしょう。

ちゃんと銘板も残っています。
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イギリスのパテントシャフト社製造。

橋は今もその姿を変わらず留めているように見えますが、細かく見るとあちこち痛んでいます。
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やはり100年の時は伊達じゃないようです。

大垣方から。
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現在は人道橋となっていますが、かつては自動車の通行も可能だったとか。
この狭い橋をねぇ…

橋脚にも年代を感じます。
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レンガの欠円アーチがまた。

ちなみに現在線橋梁との間には2代目の橋台が。
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対岸にも同じように橋台だけが残っています。


ここからは余談。
この橋の少し上流には樽見鉄道揖斐川橋梁が架かっています。
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こちらも実は明治生まれの橋梁。
かつての御殿場線で使用されていたものの再利用だそうです。

奥の丸っこいものの方が明治生まれ。こちらもピントラス橋。
あっちが重文ならこっちも…とか思っちゃいます。


そしてさらに余談。
このあたりの区間東海道線としての開通が早かったことで、
盛り土下を通る通路にも歴史を感じるものが多々あります。

その中から面白いものを2つ。
まず1つ目。宮東橋梁。
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レンガ製の橋梁、というかまぁ見た目はほぼトンネルなんですが、
道路と水路が並んで設置されているあたりが面白いです。

まぁ反対側はボックスカルバートで延長されていて、面白いのはこちら側だけなんですけど。

そして2つ目。甲大門西橋梁。
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一見なんてこと無い感じです。

しかし近づいてよく見てみると何か凄いです。
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ねじれてます。中から何からねじれてます。

内部を見るとさらに凄いです。
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まるで渦のよう。
天井も低いのでさらに気分悪くなりそうです。


築堤に対して道路が直角でなく斜めになっているため、レンガをこのように積んでいるのです。
通称「ねじりまんぽ」。
ねじり、はそのままねじれているということ。
まんぽ、は語源は諸説ありますがまぁ単純にトンネルのことです。

まぁ分かりやすく言えばねじれトンネルですね。

こんなの道路真っ直ぐ通せばいいじゃんと思うんですけどね。
まぁかつての道路の形を優先して残したって事なのかな。

しかしこれを橋梁って表現するのはやっぱ違和感ありますね。
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見た目にはトンネルっぽい。


まぁ、重文の橋含め見る価値あるかなと思います。
どちらも橋から大垣よりなので、見物のついでにいいかもしれません。





とりあえず廃線跡歩きも次で一区切り。
最後はまたなんてことない廃線跡です。