【住友大阪セメント専用線】 岐阜工場専用線跡その2


自治会の案内図には今も専用線が描かれたままです。
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まぁこういうものはなかなかすぐに変更したりしませんしね。

なぜか中部電力の車にだけ向けた看板。
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しかし注意を喚起している踏切は既に撤去済み。

踏み切り跡から工場方向。
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ちょうどすぐ横を通れるような位置に道路が。
これって現役時代はどうだったんでしょうか。

柵とか何かを設置していた様子は無いですけどねぇ。危なくなかったのかな。


さらに踏み切り跡をもう一つ。
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線路の右側へと移ります。


土地境界票を見つけました。
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これはなんのマークなんでしょうか。

こちら側には金網のフェンスが。
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現在の様子からはまあ何のために区切ってあるのやらよく分からない状態ですね。


工場がさらに近づいて来たあたりではもはや痕跡どころではないです。
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現在進行形で地形改変真っ最中。


このあたりから入れ替え線か何かになってたんでしょうか。
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線路跡の土地が広くなってきています。

工場直前だと4線分くらいはあったんですかね。
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だいぶ広い空き地にバラストだけが残っています。

しかし工場入り口にはもはや痕跡なし。
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花壇のある所も線路だったなんて誰が信じることやら。
見事なまでに整えられてます。

内部も覗いてみたかったんですが、まぁそのあたりは自重しました。



今はまだ線路跡も分かりやすいですが、空き地の再利用が進めばそうもいかなくなるでしょうね。
この先どうなっていくか…はまぁ確かめに来ることもないとは思いますけど。

まぁ三木鉄道からの移籍車見にもう一度くらいは来ようかなぁ。


とりあえず家出る前に廃線跡記事あと2回書いとくつもりです。