【玉野市営電鉄】 宇野~広潟~玉野高校前

今回からまた別の路線探索。
宇野から玉遊園地前を結んでいた全長わずか4.7kmの小私鉄。
玉野市営電気鉄道跡です。

開業は1953年。
宇野から三井造船所までの間の未成線路盤を利用し、
備南電気鉄道の手でまず宇野から(旧)玉間の3.5kmが開業されました。

開業2年後には(新)玉まで延伸。
しかし建設前からの資金難や経営不振がたたり、その次の年、開業わずか3年で玉野市に営業を移管。
これをもって玉野市営電鉄となりました。

玉野市営となってからは信号所や新駅の設置でフリークエンシーサービスの向上を図ったり、
川の中に橋脚を立てて路盤を設置するなどの大胆な方法で延伸を行ったりと、さまざまな手が打たれました。

しかし経営状態が上向くことは無く、電化設備更新を断念し非電化鉄道への転身を遂げます。
この時不要となった電車3両は対岸の高松琴平電鉄に売却され、近年まで活躍していました。

非電化となってもやはり経営状況は変わりませんでした。
結局開業から16年後。一度も黒字を計上することなく全線廃止となりました。

元々は遠く水島まで31.4kmの路線を目指していたこの鉄道。
その夢はわずかにその6分の1までを開業して終ぞかなうことは無かったのです。


跡地はその後遊歩道化。しかし鉄道の痕跡は随所に残っています。
宇野駅を基点として順に紹介していきます。

また今回もワイワイマップと連携とってます。
リンク:ワイワイマップ玉野市営電鉄
駅跡を詳しく調べていなかったのでいくつか写真なしスポットになってしまいました。


探索スタート地点はJR宇野駅
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かつて連絡船との連絡で賑わったこの駅もすでにその面影はありません。
いやまぁ面影つっても昔の姿は見てないですけど。でも敷地とか名残ありますよね。

玉野市営電鉄の宇野駅跡は駅の西側にあったとか。
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このあたりになるんでしょうか。
廃止から年月も経ち、さらに宇野駅自体の改築もあって痕跡は皆無です。

とりあえず駅横に併設された駐車場の横の道を進んでいきます。
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右手の風景の中のどこかを鉄道が走っていたのでしょう。
ただ、駐車場との境界に国鉄の境界票があったので、
もしかしたら今まさに歩いているのが線路跡かもしれませんが。

しばらく歩くと道路は左手へ。線路とは離れてしまいます。
行き当たりの駐車場あたりがかつての路線跡なのではないでしょうか。
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ここを進むことはちょっと出来ないので迂回します。

ぐるりと迂回してその先に、いかにも鉄道跡らしい緩やかなカーブが。
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この付近が広潟駅跡だったそうです。
まぁなんというか痕跡はまるで無いですね。仕方ないことながら。

駐車場を越えると一度道路に分断されています。
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遊歩道はこの道路を越えたところから整備されています。

赤い舗装がなされています。
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ここらのカーブもまた鉄道的ですね。

中学校の前を抜けていきます。
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現在は通学路として利用されているのでしょう。

道路と川との交差。
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その向こうには玉野高校前駅の跡が見えてきました。

川の下を覗きこんでみました。
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風化具合からは当時の橋梁をそのまま転用しているようにも見えます。
鉄筋がはみ出てきてるあたりちょっとヤバくないかとも思いますが。

まぁ、現役時代と違って上を通るのは軽いものだけですけど。

玉野高校前駅跡。
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なんでも右手の傾斜がホームの跡らしいですけど、果たしてそれは事実かどうなのか。

あまりにそれっぽい位置にそれっぽい形のものがあるからそう思っただけなのではないかとも思うんです。

高さがちょっと高い気もしますし、スロープの傾斜も緩すぎるような気も。
ここまで下津井の低規格なホームを見続けていたせいかもしれませんけど。

またごあつらえ向きにこんなものまであるもんだから余計にそれっぽく見えます。
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確かにコレもあわせればもう一見ホームにしか見えません。
こんなところに階段を作る意味も分かりませんから、余計に元々の鉄道関係施設に見えたりもするでしょう。

でも現役時代の写真をみるとこの辺に階段ってないようにも見えるんですよね。
微妙だなー。

保存会の人がそうだって言ってるからそうなのかなぁ。



とりあえず謎を抱えたまま先へ。
次からはいくつかトンネルを抜けます。


続く。