非電化となってもやはり経営状況は変わりませんでした。
結局開業から16年後。一度も黒字を計上することなく全線廃止となりました。
結局開業から16年後。一度も黒字を計上することなく全線廃止となりました。
元々は遠く水島まで31.4kmの路線を目指していたこの鉄道。
その夢はわずかにその6分の1までを開業して終ぞかなうことは無かったのです。
その夢はわずかにその6分の1までを開業して終ぞかなうことは無かったのです。
とりあえず駅横に併設された駐車場の横の道を進んでいきます。
右手の風景の中のどこかを鉄道が走っていたのでしょう。
ただ、駐車場との境界に国鉄の境界票があったので、
もしかしたら今まさに歩いているのが線路跡かもしれませんが。
右手の風景の中のどこかを鉄道が走っていたのでしょう。
ただ、駐車場との境界に国鉄の境界票があったので、
もしかしたら今まさに歩いているのが線路跡かもしれませんが。
しばらく歩くと道路は左手へ。線路とは離れてしまいます。
行き当たりの駐車場あたりがかつての路線跡なのではないでしょうか。
ここを進むことはちょっと出来ないので迂回します。
行き当たりの駐車場あたりがかつての路線跡なのではないでしょうか。
ここを進むことはちょっと出来ないので迂回します。
ぐるりと迂回してその先に、いかにも鉄道跡らしい緩やかなカーブが。
この付近が広潟駅跡だったそうです。
まぁなんというか痕跡はまるで無いですね。仕方ないことながら。
この付近が広潟駅跡だったそうです。
まぁなんというか痕跡はまるで無いですね。仕方ないことながら。
駐車場を越えると一度道路に分断されています。
遊歩道はこの道路を越えたところから整備されています。
遊歩道はこの道路を越えたところから整備されています。
赤い舗装がなされています。
ここらのカーブもまた鉄道的ですね。
ここらのカーブもまた鉄道的ですね。
中学校の前を抜けていきます。
現在は通学路として利用されているのでしょう。
現在は通学路として利用されているのでしょう。
道路と川との交差。
その向こうには玉野高校前駅の跡が見えてきました。
その向こうには玉野高校前駅の跡が見えてきました。
川の下を覗きこんでみました。
風化具合からは当時の橋梁をそのまま転用しているようにも見えます。
鉄筋がはみ出てきてるあたりちょっとヤバくないかとも思いますが。
風化具合からは当時の橋梁をそのまま転用しているようにも見えます。
鉄筋がはみ出てきてるあたりちょっとヤバくないかとも思いますが。
まぁ、現役時代と違って上を通るのは軽いものだけですけど。
玉野高校前駅跡。
なんでも右手の傾斜がホームの跡らしいですけど、果たしてそれは事実かどうなのか。
なんでも右手の傾斜がホームの跡らしいですけど、果たしてそれは事実かどうなのか。
あまりにそれっぽい位置にそれっぽい形のものがあるからそう思っただけなのではないかとも思うんです。
高さがちょっと高い気もしますし、スロープの傾斜も緩すぎるような気も。
ここまで下津井の低規格なホームを見続けていたせいかもしれませんけど。
ここまで下津井の低規格なホームを見続けていたせいかもしれませんけど。
またごあつらえ向きにこんなものまであるもんだから余計にそれっぽく見えます。
確かにコレもあわせればもう一見ホームにしか見えません。
こんなところに階段を作る意味も分かりませんから、余計に元々の鉄道関係施設に見えたりもするでしょう。
確かにコレもあわせればもう一見ホームにしか見えません。
こんなところに階段を作る意味も分かりませんから、余計に元々の鉄道関係施設に見えたりもするでしょう。
でも現役時代の写真をみるとこの辺に階段ってないようにも見えるんですよね。
微妙だなー。
微妙だなー。
保存会の人がそうだって言ってるからそうなのかなぁ。
とりあえず謎を抱えたまま先へ。
次からはいくつかトンネルを抜けます。
次からはいくつかトンネルを抜けます。
続く。