【碓氷峠廃線遺構】 旧線第2橋梁と第2隧道

第1隧道を抜けしばらく明かり区間を歩くと、旧線第2橋梁跡が見えてきます。
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緑の柵がついている部分がちょうど橋梁部分。

パッと見だとただ柵がついているだけ、って感じですが、
ちょっと道を外れて見るとこれこの通り。
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小ぶりながらレンガ橋梁が顔をのぞかせています。

橋の横には朽ち果てたキロポスト(?)
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位置的には高崎起点32.5kmのものですかねぇ…
縦断面図から読み取ると大体そんなあたりなんですけど。

もしかしたら勾配票かもしれないけど。
でもカタチ的にはキロポストだよな、これ。


ちなみにこの橋、非常に厳しい地形のところに架かっているので、
橋梁の全貌をとらえるのはなかなか難しい作業です。
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これでいっぱいいっぱい。これ以上乗り出すと危険が危ないです。

橋梁側面のプラケット(電線を固定するもの)と、
レンガアーチをコンクリートで補強してあるのくらいは確認できるかと思います。

このコンクリ補強により径間が短くなったので、
「橋梁」から「溝渠(カルバート)」に変わったとか何とか。

いや正直何のことやら自分でもよくわからないのです。

ちなみに完全に余談ながら。
週間少年ジャンプで現在不定期連載中の「HUNTER×HUNTER」21巻収録、
第223話1ページ目には、明らかにここから先あたりを走る列車の姿が描かれています。
写真トレースしたんでしょうねw


緩やかに左にカーブを切ると、その向こうに第2隧道が見えてきます。
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こうやって見ると真っ直ぐ道がついているように見えます。

しかしいざ坑口を前にするとなぜか遊歩道は不自然に左に迂回しています。
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坑口手前にレールが廃棄、というか放置されてるからでしょうか?
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それにしたって別に直進しても問題ないような気もしますけどね…

第2隧道横川方坑口。隧道の全長は112mちょっと。公開されている隧道の中では3番目の長さです。
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手前のでっかい切り株に、廃止されてからの時の流れを感じさせられますね。
この木がこんなになるまで放置されてたんだ…っていう。切られたのは割と最近みたいです。

坑口横のピラスター上部にはこんな金具が残っています。
その上の穴は恐らく「2」のプレートをつけていた名残り。
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金具の方は昔も昔、蒸気運転時代の名残り。
排煙幕を取り付けていた跡らしいです。

排煙幕とはなんぞや、といいますと…
まぁいちいち文章で説明するのもあれなので絵を。
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一生懸命ペイントで描きました。下手だとかこんな機関車ねーよとかの突っ込みは勘弁してください。
でも正直自分でもこれは酷いな、と思うけど。

いやまぁでも、もう要するに(↑)こういうことなんですよ。

隧道に入ると列車がピストンの働きをして、
隧道内の前の空気を押し出し、後ろの空気は吸い込んでしまう。

すると煙が後ろに排出されずに回りにまとわりついて非常に具合が悪いわけですね。

だから列車が通りすぎると同時に隧道入り口横で待機していた人が幕を下ろし、
後ろの空気が吸い込まれるのを遮断してしまうわけです。

そしたら煙がまとわりついていく事態は防ぐことが出来る、というわけです。

これらの人々は隧道近くに家があって家族で住み込みでのお仕事だったとか。
ホントもうなんかとんでもないお話。まぁこの時代ならでは、ってやつですかね。

でも、全26隧道すべてに人員を配置していたんだったらすごい話ですよね。
上り下りだけでも52人、交代要員考えたらもっといるわけですよ。

雨の日も風の日も雪の日も、ただただ幕を引くために。
ただただ乗客と仲間の快適のために過ごしてきた人間がここに居た、ということなのです。
何かこうすごいお仕事だなぁ、と思います。

この装置自体は明治27年頃、
英国人アールエフ・トレールシック氏によって発明されたものなのだとか。
まだまだ鉄道は外国の技術だった時代のお話です。


ちなみに碓氷峠電化工事全容には、当時の辛苦が以下のように解説されています。
列車一たび隧道に入るや、車輪の○(車偏に歴)声は排気の騒音と相合して轟々耳を聾し、
黒煙は蒸気と相混わりて濛々息を圧し、旅客の不便苦痛言うに忍びざるものあり。
殊に炎々たる機関の前。漠々たる煤煙の裡に従業する機関車乗務員にありては、
吐血又は窒息の惨事にも遭遇せしこと其実例に乏しからざるなり。
是を持って或は隧道口に幕を張り、或は燃料として重油を用い、或は機関車内に
「タービン」通風装置を備え、百方之か防止策を講じたりと猶、未だ以て万全を期するに足らず。
(信越線碓氷 電化工事概要 総説p一~二より引用 カタカナ・旧字は読みやすいよう修正)
客室はうるさくて耳聞こえねーわ、煙と蒸気が混じって息苦しいわ、
乗務員にいたってはめちゃくちゃ暑いわ煙は凄いわで、吐血や窒息しちゃうことも
そう少ないことじゃなかったんだよー、と。 

いやぁ、とんでもない。
正直今の時代にこんな輸送されたら裁判もんですねw


排煙幕に関しても説明はされていますが、
まぁ…一生懸命人員を割いて一生懸命開け閉めしたにもかかわらず
「万全を期するに足らず」な対策の一部に過ぎなかったようです。

というわけで碓氷線は開業から20年で日本初の幹線電化へと進むことになるのです。
この工事の際にもまた色々と苦労があったそうですが、まぁそれは別の機会で。
脱線しすぎだいい加減。

さて本題に戻りましょう。

第2隧道内部は緩やかに右にカーブしています。
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第3軌条をイメージした照明や、未だ現役の排水溝など、隧道内部も見所は沢山です。


第2隧道軽井沢方坑口。何箇所かに大きな亀裂が入り、あまり状態はよくなさそうです。
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この隧道はどちらの坑口もレンガ積みとなっています。


ちなみに出口すぐ横が碓氷湖に下りる車道になっており、
道路工事によってかつての路盤の面積があきらかに狭くなっていたりします。
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トンネル自体は潰されなかったっていうのがある意味奇跡に見えますね。
利用が終わった鉄道用地なんてわざわざ残す必要もなかっただろうに。




とんでもなく長くなりました。
次回は第3隧道と其の周辺、で。

※参考文献
信越線碓氷 電化工事概要  
 鉄道院 東部鉄道管理局

RM LIBRARY 碓氷峠の一世紀(下)
 三宅俊彦 著