紀州鉄道の旅 その8 大和紡績専用線跡2

ほとんど完全な状態で残っている廃線跡ですが、
わずかな距離で再び途切れてしまいます。
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駐車場兼物置と化しています。


道路によって分断されたあと、また線路と枕木が姿を現します。
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しかしこれもまたそんなに長くは残っていません。
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車の手前でレール、枕木は最後。
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あとは道路に飲み込まれて消えてしまっています。

線路が真っ直ぐ伸びていたとすれば、橋が掛かっていたのはこのあたりでしょうか…
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何も無いです。
隣の道路橋が新しくなった時点で全て遺構は消滅したのだとか。


工場正門横。
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この辺から工場内に入ってたのかなぁ。
このあたりは全く遺構が残って無いので分からないですね。


正門前にやってきました。
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現在はダイワボウマテリアルズと社名を変えてるんですね。
ダイワボウまでが社名なのか、あとも全部含めて社名なのかよく分かりませんが。

奥の貨物ホームらしきものがかなり気になるところではありますが、
ふと見ると足元にも気になるものが。

入り口の門の前のふた。
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これは…レールじゃないですか?
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いらなくなったレールを再利用したんでしょうか。


しかし気になる奥の建物。
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目の前に見えてるのに近寄れないのがなんとももどかしい。もどかしすぎる。
何とかならんもんか……



と言う訳で中に入れて頂きましたw
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入り口で中にいた人に声を掛け、
少しばかり話をした後に「中で写真をとってもいいですか?」と聞くと
「まあ、日曜日やし工場も動いて無いから危ないこと無いと思うし、いいよ」との事!

感謝感激雨あられですね。
ダイワボウマテリアルズ和歌山工場さんの御厚意に心から感謝します。

とりあえず奥の方も見てみたかったんですが、それはさすがに…なので一番手前のみ。
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レールは全く残っていませんが、どう見てもホーム跡ですね。

実際話を聞いたおじさんが言うには、
今でも工場内ではここのことを「プラットホーム」と呼んでいるのだとか。

この区間の廃止が昭和59年(1984年)、22年前ですか。
それだけ経っても今でも色んなところに名残は残ってるんですね。



最後におじさんに挨拶をして、
専用線が入ってきていたという方角(「向こうの方から工場の中に入ってきてたんよ」との事)を撮影して撤収。
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おじさんはかなり向こう(中央の塀のかなり進んだあたり)を指差して言ってたんですが、
そんなに向こうから入ってた訳無いと思うんですよね…
いっても写真中央ちょっと右くらいじゃないんだろうか…

鉄道ってそんなカーブに強くないし…


まあ、この点だけちょっぴり疑問が残りはしましたが、
非常に貴重な体験でした。

何でも言ってみるもんですねw





このあとは、かつて日高川まで延びていた区間廃線跡へ。