0円選手の大仕事

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初スタメン・中島が貴重な逆転打!楽天交流戦5割復帰
2007年6月18日(月) 8時1分 サンケイスポーツ

 (交流戦楽天3-2横浜、最終戦楽天3勝1敗、17日、フルスタ宮城)年俸510万円の無名選手が、いきなりお立ち台に上がった。この日一軍に登録され、初スタメンで起用された中島が、1点を追う二回二死一、二塁から三塁線を破る逆転の2点適時二塁打無印良品の一打で、交流戦5割復帰だ。

 「きょう、あの、登録されたばかりなんですけど…。チャンスで結果が出せてよかったです」

 ヒーローインタビューで2万人を超えるファンの注目を浴び、声も体も震えた。球界再編でオリックスから楽天入りしたが、2年間一軍出場なし。3年ぶりとなるプロ2本目の安打が、貴重な勝ち越し打となった。

 5年目の今季はイースタンで開幕から好調。打率.373、5本塁打で3-4月の月間MVPも獲得した。一軍にもいい報告が続いたが、チーム事情からお声はかからない。「こんなに打ってもダメか…」とあきらめかけた時期もあったが、オリックス時代の先輩でもある佐竹外野守備走塁コーチに「見てくれている人は絶対にいる」と電話で励まされ、ついにチャンスをモノにした。

 「きょうは1.5軍の選手が活躍したな。中島? オレの好きなスイングじゃないけど…。よう打ったよ」。野村監督はアッパースイングを指摘したが、一軍にいれば直接指導で改善もできる。野村再生工場に、また楽しみな選手の誕生だ。

[ 6月18日 8時1分 更新 ]

かつてオリックスが導入した「契約金0円選手」。
2000年から3年に渡って10人がこの条件で入団しました。

今で言う育成選手の走りのようなものでもあったのでしょうか。


しかしながら彼らの多くは戦力として定着することが出来ずにプロ野球界を去り、
今もプロに残ったのはこの中島選手ただ一人となっていました。


その0円選手のただ一人の生き残りがやってのけた大仕事。
かつてオリックスファンだった横浜ファンとしては、嬉しいやら悲しいやら複雑な気分ですw


まあ、私は2000年ごろから兼任ファンで、
2002年あたりから横浜へと大きく傾いていたので、正直中島選手のことは記憶になかったんですけどね。

まあでも、色々懐かしいことも思い出しました。


一軍に定着しかけたものの、わずか3年で退団した高見澤選手。
球場まで自転車通勤とかしてましたよね。

中学校の教師がプロ入りとして話題になった橋本選手。
確かこの年はオリックスが馬鹿みたいに選手を指名した年でしたっけ。

独立リーグを経て入団した塩屋選手。
同期にマック鈴木選手がいましたっけ。

この年は自由枠の加藤、4順目の前田、そしてこの塩屋と「大輔」が3人入団した年でもありましたね。


みんな懐かしいですね。
合併騒動も重なって、0円選手はみんな気が付けばいなくなっていたという印象です。


ぜひとも中島選手には彼らの分も頑張って欲しいものです。
プロ入り初打点、おめでとうございます。