終点塩江  塩江温泉鉄道跡 その5

これは真っ直ぐ行くのが線路跡だったんでしょうか。
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しかし明らかに庭先に続いています。
ちょっと真っ直ぐ行く勇気はありませんでした。

進めば進むほど風景は山深くなっていきます。
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でも廃線跡なので勾配はさほどでもなく。
なかなか快適に進んでいけます。

3本目のトンネルが。
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黄色くペイントしてあったようにも見えますね。
何か目的があったのでしょうか。

しかしやっぱりこういういかにもな鉄道トンネルをくぐるのはテンション上がります。
レンガ造りならなおよかったんですが。

別の道路との交差点では、交差点に向けて大きく沈んでいました。
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交差する道路はきっと廃線後のものなのでしょう。

長いこと経ってますもんねぇ。

このコンクリ固めの擁壁なんかも現役当時はあったのかどうか。
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石垣とかだったのでは。

まぁでも、この高低差を見ると今の道路がどれだけ線路跡に沿っているかは結構微妙なんですよね。
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結構低いぞ…

しかし橋脚がよく残っていますね。
このあたりは巡っててとても楽しいです。


しかしこの先路線を完全に見失ってしまい、一度は折り返して帰ろうと。
ところがバス停を見つけて表示を見ると、塩江バス停はまだ先。
だったらまだ先に路線が続いていたはず、と再びUターン。

しかし特に何もないまま塩江バス停までたどり着いてしまいました…
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もう1本トンネルがあったはずなんだけどなぁ。

かつては讃岐の奥座敷とも呼ばれ、観光客に湧いていた塩江。
しかし塩江温泉鉄道は経営難により、開業後9年で親会社である琴平電鉄に合併。
琴平電鉄塩江線となりました。

元々本社も琴平電鉄本社内にあり、開業時の社長も琴平電鉄の社長が兼務。
まさに親子のごとく関係の深い会社だったようです。

しかし戦争の激化に伴い、観光路線であったこの路線はいわゆる不要不急線とされ、
その後復活することはありませんでした。

線路は台湾へと運ばれ、車両は中国へ。
ガソリンカーは改造され満州路面電車になったとか、
にわかに信じられない話もありますが、戦後の行方はようとして知れません。

もしこの路線が残っていたら…
仏生山温泉割引切符じゃなくて、塩江温泉割引切符が発売されていたのかもしれませんね。


とりあえず帰りますか、と折り返し。
ここまで延々登ってきたわけですから、帰りは逆に延々下り。
自転車で来てよかったです。楽に戻れる。

お、川の中に、行きに気が付かなかったところに橋脚が!
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木の陰にひっそり隠れていたので気が付きませんでした。

ということは道路の上にトンネルがつながっているはず。

このあたりかな、と目星をつけて反対側の坑口を無事発見しました。
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これまたいかにも「廃」な感じでいいですね。

このトンネル付近は完全に地形が変わってしまっているようですね。
ここからどう路線が伸びていたのかまるで分かりませんでした。


気持ちよく下って行きます。
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途中トンネルではこんな写真を撮ってみたりして。
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するすると下って行き、
さほど時間もかからず出発点の仏生山まで帰りついたのでした。


いやー、なかなか楽しい路線でした。
自転車だとさほど時間もかからないのがありがたかったです。

ただまぁ、町なかの方はほとんど遺構が残っていないのがあれですね。
前半部分は完全にサイクリングだった…

それでも後半で次々現れる橋脚とトンネルにはテンション上がりました。
また来たいですね。もうちょっと下調べしっかりしてから。
トンネルの名前とか、見逃したホーム跡とか確認したいですし。