これは真っ直ぐ行くのが線路跡だったんでしょうか。
しかし明らかに庭先に続いています。
ちょっと真っ直ぐ行く勇気はありませんでした。
しかし明らかに庭先に続いています。
ちょっと真っ直ぐ行く勇気はありませんでした。
3本目のトンネルが。
黄色くペイントしてあったようにも見えますね。
何か目的があったのでしょうか。
黄色くペイントしてあったようにも見えますね。
何か目的があったのでしょうか。
しかしやっぱりこういういかにもな鉄道トンネルをくぐるのはテンション上がります。
レンガ造りならなおよかったんですが。
レンガ造りならなおよかったんですが。
長いこと経ってますもんねぇ。
このコンクリ固めの擁壁なんかも現役当時はあったのかどうか。
石垣とかだったのでは。
石垣とかだったのでは。
まぁでも、この高低差を見ると今の道路がどれだけ線路跡に沿っているかは結構微妙なんですよね。
結構低いぞ…
結構低いぞ…
しかし橋脚がよく残っていますね。
このあたりは巡っててとても楽しいです。
このあたりは巡っててとても楽しいです。
しかしこの先路線を完全に見失ってしまい、一度は折り返して帰ろうと。
ところがバス停を見つけて表示を見ると、塩江バス停はまだ先。
だったらまだ先に路線が続いていたはず、と再びUターン。
ところがバス停を見つけて表示を見ると、塩江バス停はまだ先。
だったらまだ先に路線が続いていたはず、と再びUターン。
しかし特に何もないまま塩江バス停までたどり着いてしまいました…
もう1本トンネルがあったはずなんだけどなぁ。
もう1本トンネルがあったはずなんだけどなぁ。
元々本社も琴平電鉄本社内にあり、開業時の社長も琴平電鉄の社長が兼務。
まさに親子のごとく関係の深い会社だったようです。
まさに親子のごとく関係の深い会社だったようです。
しかし戦争の激化に伴い、観光路線であったこの路線はいわゆる不要不急線とされ、
その後復活することはありませんでした。
その後復活することはありませんでした。
もしこの路線が残っていたら…
仏生山温泉割引切符じゃなくて、塩江温泉割引切符が発売されていたのかもしれませんね。
仏生山温泉割引切符じゃなくて、塩江温泉割引切符が発売されていたのかもしれませんね。
とりあえず帰りますか、と折り返し。
ここまで延々登ってきたわけですから、帰りは逆に延々下り。
自転車で来てよかったです。楽に戻れる。
ここまで延々登ってきたわけですから、帰りは逆に延々下り。
自転車で来てよかったです。楽に戻れる。
お、川の中に、行きに気が付かなかったところに橋脚が!
木の陰にひっそり隠れていたので気が付きませんでした。
木の陰にひっそり隠れていたので気が付きませんでした。
ということは道路の上にトンネルがつながっているはず。
このあたりかな、と目星をつけて反対側の坑口を無事発見しました。
これまたいかにも「廃」な感じでいいですね。
これまたいかにも「廃」な感じでいいですね。
このトンネル付近は完全に地形が変わってしまっているようですね。
ここからどう路線が伸びていたのかまるで分かりませんでした。
ここからどう路線が伸びていたのかまるで分かりませんでした。
気持ちよく下って行きます。
いやー、なかなか楽しい路線でした。
自転車だとさほど時間もかからないのがありがたかったです。
自転車だとさほど時間もかからないのがありがたかったです。
ただまぁ、町なかの方はほとんど遺構が残っていないのがあれですね。
前半部分は完全にサイクリングだった…
前半部分は完全にサイクリングだった…
それでも後半で次々現れる橋脚とトンネルにはテンション上がりました。
また来たいですね。もうちょっと下調べしっかりしてから。
トンネルの名前とか、見逃したホーム跡とか確認したいですし。
また来たいですね。もうちょっと下調べしっかりしてから。
トンネルの名前とか、見逃したホーム跡とか確認したいですし。