屋代線めぐり 松代駅  2011夏休み その10

信濃川田から少し屋代寄り。
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3つ目の訪問は松代駅。

屋代線沿線ではここが一番栄えてるんでしょうか。

駅からは松代城址も見えています。
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スロープなのか階段なのか。
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ここもやはりいい駅舎です。
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個人的にはこの「安 + 全」表記がいいなぁ、と。
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タクシー乗り場の看板の字体の古さもまた。

この案内図の古さもまた。
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古い案内板っていいですよね。
案内板本来の役目から言えば、新しいものの方が大切なのでしょうけどw

ここ松代は太平洋戦争末期、
本土決戦を想定し、日本の中枢機能を移転する計画がすすめられた地だったそうです。
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この象山地下壕跡もその名残だとか。

結局それより早く敗戦となったためその計画が実行に移されることはありませんでした。

ちなみに大本営の移動は秘密裏に進められたそうですが、
ここ松代駅に続々輸送されてくる大量の物資が目撃されたことで、
大本営移転の噂は地元では知れ渡っていた、なんて話もあるそうです。


駅前には「汽車ポッポの歌」の歌碑。
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作曲家の方がここ松代の出身なのだそうです。

待合室にはのんびりとした時間が流れていました。
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いい駅舎でかつ有人駅というのはポイント高いです。
生きている駅、といった感じがします。




いくつかの張り紙。その願いは届かず。
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本当にどうにもならなかったものか。

思いや願いじゃ鉄道は動かせないことは、
その仕事についている以上は重々承知なのですけども。

公共インフラとしての存在を求めるのなら、
それは「鉄道を使う人が少ないから関係ない」で終わらせていいような問題ではないと思うのです。


観光地が点在する中なので、この駅舎は廃線後も残るかもしれませんね。
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たとえば集会所とかそんな感じの設備で。

しかしそれは「駅」としては死んだも同然なんですよねぇ。


いろいろ思うところありながら。
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折り返しで駅を後にするのです。





つづく