屋代線めぐり 屋代駅   2011夏休み その8

小布施から須坂に戻ってきました。
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前回じっくり見られなかった2000系A編成を観察。
D編成の方が塗装もスカート付きの表情もあって好きだけど。

駅外に出ると歩道橋が補修中でした。
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ここに上がればよく構内が観察できると思ったのに…

須坂から屋代線へ向かいます。
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ここ屋代線はかつてこそ国鉄からの直通急行が湯田中へ向け乗り入れる路線でした。
ピークには年間330万人の旅客数があったものの、近年は減少の一途。
平成21年度にはピーク時のわずかに約14%、46万人にまで落ち込みました。

14%減でなく14%。
ピークと比べているとはいえ86%減というのは凄まじい数字です。

それに伴い当然存廃も議論されはじめ、
09年には地元自治体と長野電鉄による「長野電鉄活性化協議会」が設立。

翌年より社会実証実験を行ったものの、結果は芳しくなく。
結局2011年2月、その活性化協議会が廃線を決定。
屋代線の運命は2012年3月いっぱいまでとなりました。

活性化協議の結果が廃線、というのもなんとも皮肉な結果ではありますが、
まぁ、どこまでやる気があったのか、というのも疑問点ではあります。

長野電鉄が用意した屋代線のHPの出来なんか見てもね。


しかしバス転換とはねぇ…
こういったローカル鉄道の主な利用層というのは学生かお年寄りなんでしょうが、
たとえば朝の通学時間、どこまで定時性が守れるものなのでしょうか。

現在すでに渋滞が起きているようなところにさらに廃線により車利用者は増加するはず。
今日は渋滞をうまく抜けたから学校に間に合った。
今日は渋滞にはまり込んで学校に間に合わなかった。

これじゃそもそもが交通機関としてはお話にならないわけですよね。

そこに長野ですからねー。
冬季、雪でも降ったらどうなるか。

そんな事例が過去福井でありましたっけ。
あそこほどの輸送量がここには既にないのかもしれませんけども。

まぁ、自分はあくまで余所者であって、住民じゃないですからね。
どうなろうが困りゃしませんし、知ったこっちゃないってのが現実ですけれど。

それに、真夏の画像貼り付けて真冬の心配しても説得力が皆無です。



いろいろ思うところありながらとりあえずは終点屋代へ。
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一応途中駅をチェックするには全部乗らねばならんだろう、と。
とりあえずで訪れていますがここはここで渋い駅です。

しかしそれは長野電鉄側だけの話。
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表に出てみればこの通り、ごく普通の駅に見えます。

改札も実に普通。
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普通の田舎の駅といった風情です。

表情を変えるのは跨線橋途中から。
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一回り狭い長野電鉄線への連絡通路。
こういうの青森の弘南鉄道でも見ましたね。

広さだけでなく造りも全く違います。
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一歩立ち入っただけでまるでタイムスリップしたかのような。

この夏の空もこれが最後かと思うと。
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最後とか言う以前にまぁ訪問自体2度目とかそういう次元なのですが。

夏の日差しに銀の車体がまぶしいです。
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ホームの方が暗いもんだから写真撮るのが難しい…
空を白く飛ばすかホームを暗くしてしまうか…

待合室はこの渋さ。
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ホントにしなの鉄道側との空気というか雰囲気の差がすごいです。

廃止になったらこれらもきれいさっぱり撤去されちゃうんでしょうか。
それもなんとも寂しい話です。




折り返し列車に乗り込み、ちょっとだけ屋代線めぐりへ向かいます。