ながでん電車の広場へ  2011夏休み その7

さて、電車の広場はホーム横の側線に設置されています。
そこまでどうやって向かえばいいのか、とふと見ると。

構内踏切が反対方向にも続いている…?
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スロープからよく見ると右手奥に向け降りられるようになっています。

そしてその構内踏切は側線半ばで途切れています。
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そこから右手、電車の広場へ向けてゴム製のマットらしきものが…

え、マジかい。
ここ行くの?
これ、線路銀色してるけど勝手に横切っていいの?

え、え、ここいいのかな。
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ホントにこんなとこ立ってていいのかな。

そんな感じでビクビクしながら一応電車の広場の線路へ。
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ホームから丸見えなんですよね。
ちょっと恥ずかしいです。線路内を行くというのもなんだか。

手前には腕木式信号機が保存されています。


そしてまず先頭にはED5002。
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須坂車庫には同期のED5001が入換用として現役です。

これ驚いたのはですね。
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ドアが開くのです。
最初は壊れているのかとさえ思ったほどでした。

しかしほかの車両も同様に開きます。
いやいや。見る上でこんなにありがたい保存状態というのもないものですよ。

これはやっぱりファンに対する信頼で成り立っているものですから、
当然我々の側からしてもその信頼に応えるのが礼儀、というより、
それはもはや人として常識、当たり前というものでありましょう。

その後ろは長野電鉄において最初の「電車」モハニ131。
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車内はこんな様子です。
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椅子がこんな状態なら普通は閉鎖するだろうに。
余計壊されちゃたまりませんやん。
これをそのまま見せてくれるっていいのか、ホントに。

モハ「ニ」の名前通り、荷物室らしき空間も。
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荷物室ってのは今の時代ほとんど見ませんもんね。
なんだか貴重なものを見た気分です。

そしてモハ604と
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最後尾モハ1003。
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ちょっと写真が撮りづらいのだけが難点ですね。
ホームから撮りゃよかったのかもしれません。

モハ1003の車内はこんな感じでした。
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外観見るとどうやら最近塗りなおされた様子です。
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これから内部にも手が加えられるのかもしれません。


とりあえず個人的には2000系も解体するくらいならここに加えてほしいのです。


ひとまず小布施を後にして。
前回行き損ねた屋代線へと向かいます。