出島跡の周囲  坂の街長崎 その9

九州滞在最終日の朝。
あぁ、乗るはずだった列車が行ってしまった…
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と、いうわけではなく。
なんとなく出発時間だったから島鉄見に来てみただけです。
乗りたいんですけどねぇ。南島原とかまた行きたいなぁ。

しかしこのホームなんでこんなにグネグネしてるんでしょう。
まっすぐにしなかった理由とかあるのかな。

以前には無かった島原半島の案内。
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半島の南側には鉄道の表記がもうありません。寂しいねぇ。

諫早からは885系かもめ。
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昨日は始発の特急で出たので783系でしたが、
今回は885系に乗ろうと思ってあえて遅い時間での出発に。

まぁ昨日でもう長崎電軌も全部乗ったし、あらかた観光もしたし、なので、
そんなに急いで出ることも無いよな、と。

しかし長崎駅についてからは、再び路面電車1日乗車券を購入。
こんなところに来てみました。
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出島跡であります。
江戸時代、鎖国を行い海外との交易を遮断していた中、
唯一の接点がここ出島だったとかなんとかは教科書でよく言いますね。

教科書の挿し絵なんかだと、この看板にあるような扇形の人工島の姿が印象的ですよね
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現在は既に周囲も埋め立てられビルが立ち並び、当時の姿とは程遠い風景になっています。

なにせ南側には路面電車が走ってるくらいですからね。当時で言えば扇型の上端辺りでしょうか。
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ほぼ専用軌道なのにアスファルト敷きというのがなんとも不思議。
路地裏みたいに見えますね。

しかしビルの入り口直前を路面電車が行き来するってなんかすごいなぁ。
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よく左右を見てからじゃないと危ないw

出島跡周囲にはこんな看板がいくつか。
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何度か発掘調査が行われて、復元作業も行われようとしているらしいです。

出島跡東端。
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右手の道路の舗装の継ぎ目辺りが本来の出島の範囲なんだとか。
現状はちょっと縮小されてるんですね。

東端を進むとこんな橋がかかっていました。
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出島橋。
明治23年中島川に架けられた橋が明治43年にこちらに移設されたもの。
なんと一般道路橋としては日本最古のものだとか。

アメリカから輸入した鉄材を元に日本土木会社が建設したものだそうです。
思わぬところにいい橋がかかっています。なんかうれしくなりました。


ぐるっと回ってきたところに街宣車が。今日の横浜楽天の宣伝カーです。
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オープン戦でも一大イベントなんだなぁ…


さて、どうしてぐるっと回ったかといいますと。
ここ出島跡もですね、入館料取られるんですよ。500円。

それを払う踏ん切りがなかなかつかなくてw
周りから見ただけで満足すんじゃねぇかな、と回ってみたというわけですw

ま、結局入りましたけどね。
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内部の様子は次回に。




つづく