【玉野市営電鉄】 玉~玉遊園地前


かつて終着駅であった玉。その周辺は今は商店街です。
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まぁなんといいますか典型的シャッター通りって感じなんですけども。
平日とはいえここまで人通りが無いってちょっと寂しすぎます。

玉から先は白砂川に沿って、というより白砂川の中を線路は進んでいました。
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中央が白砂川。右の駐車場がかつての線路跡です。
写真には写っていませんが、丸い橋脚が当時のまま残っています。

右手で川の上に張り出している部分は全て廃線跡なのです。
そんな大工事よくやったなぁ、というか…


左手の道路も、後になってからのようですが川の中に橋脚を立てて拡幅しています。
路線が現役の頃と比べるとまるで違う景色になってしまっています。

ここまでやるならいっそ暗渠化してもいいようにも思いますけど。

左の橋脚の方が高く見えやすい位置にあるため、
最初線路跡はこっちにあったのかと勘違いしていたのは内緒です。
気がついたときの恥ずかしさといったら。

玉ひめ神社前付近。
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この辺に駅があったらしいです。
痕跡はまったく持ってありません。

駅関連はホント完全に何も残っていませんね。
まぁわざわざ残す必要があるかどうかといえば微妙なところなんですけど。

駅周辺を通り過ぎるとまた廃線跡は駐車場に。
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この時点ではまだ左手が廃線跡だと思ってるので左中心の写真になってます。

このあたりになると路盤下に橋脚も見えやすくなってます。これは帰りに撮ったもの。
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ちょっと進んだあたりの橋の上から振り返ってます。
こうやって見ると道路拡幅のための橋脚とは太さが違いますし、見た目も明らかに古いですね。

ちなみに駐車場の風景はこんな感じ。
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かつてここを電車が走っていたなどと言われても、それをどれだけの人が信じることか。
知識を持っていてすら疑わしくなる光景です。


玉小学校前バス停。
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この付近にも玉小学校前駅があったらしいですが写真撮ってないです。
たまたまあったバス停の写真を。まぁこの近くなんでしょう。

廃線跡利用の駐車場はこのあたりまで。
ここから先は一度路盤は撤去され、遊歩道が新たに設置しなおされています。
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黄色の丸で囲んだのが橋脚跡。

その先にはちょっと不思議なもの。
給水塔と
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変電所?
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いかにも鉄道遺構らしく見えるのですが…
変電所も給水塔もこの鉄道由来ではありえないような。

さすがに時が経ち過ぎでしょう…
気になりますけど。


このあたりで線路跡は終わり。
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この付近が終点玉遊園地跡になります。

遊園地、と言っても一般にイメージされる「遊園地」では無く、せいぜい児童公園レベルのもの。
備前地方ではそれを遊園地と呼ぶ慣習があるのだそうです。

その名前とはうらはらに、「遊園地」目的でここまで来た人はさぞ少なかったことでしょう。

終点付近が橋脚跡の観察は一番分かりやすいです。
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川の中でなく脇にあるので。


さてとりあえずここで廃線跡探索は終了なんですが、
せっかくなんでもう一つだけ見るものを見ていくことに。

それがこれ。
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かつてこの路線で活躍した3両の電車のうちの1両。
非電化鉄道に転身したときに対岸のことでんに売却され、
それから2004年まで41年の間、ことでんで活躍していました。

玉野で走っていた時間よりもことでんでいた時間のほうが長いんですね。
その間に前面が貫通化改造されたため、顔つきは大きく変わっています。

そして引退に際して故郷のこの地に返そうという活動が実を結び、
41年前と同じようにフェリーに乗り、ようやく玉野へと帰ってきたのだそうです。

元々は蔵王高速鉄道の注文流れと言われるこの車両。
ずいぶんと流転の人生を送ったようですが、ようやく最後に落ち着ける場所にたどり着けたようです。
立派な屋根もつけて貰えて、保存車両としてはいい状況にあるんじゃないでしょうか。

こうやって説明板もついてるし。
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やっぱりここまでやってようやく「保存」ですよね。
末永くこの姿が保たれるといいな、と思います。

自分としてはことでん時代最末期、里帰り支度を進めているころに仏生山で目撃して以来だったので、
それはそれで懐かしい思いでした。


ちなみにこの車両、廃校となった小学校を利用した施設、
「玉野総合保健福祉センター」に保存されています。

訪問時は既にかなり時間も遅かったため周辺には人気もあまり無く正直怖かったです。
人のいない学校って怖いわー。



さてとりあえず廃線探索はここで終わり。
宇野までそのまま廃線跡を引き返して帰路についたのでした。

行きしなに気がつかなかったものの再調査をしながらw


全体に駅の痕跡がまるで無い鉄道でしたが、
それでもそこかしこに鉄道の跡は残っていて歩いていて楽しいところでした。

距離も5km弱と大したことないのがよかったですね。歩きやすかった。



次回からは旅行に戻ります。
途中2回だけ廃線跡記事を書くつもりです。