【碓氷峠廃線遺構】 導入編



かつて国鉄最急勾配区間として名を馳せ、多くのファンを惹きつけた区間でした。


現在までにこの区間には4本の路線の歴史があります。

1893年、明治26年に最初に開通したのが碓氷馬車鉄道。
現在の旧国道18号線上に敷設されたとか。

初代碓氷線の建設資材輸送を目的とした鉄道だったため、
5年後の初代碓氷線開通とともに廃止となりました。

遺構に関しては少なくとも自分は聞いたことがありません。
なので今後この線に触れることはまぁ、ないと思います。

馬車鉄道と代替わりで開通したのが初代碓氷線。通称旧線。
アプト式ラックレールを採用し急勾配を克服した路線です。

こちらは現在もその遺構の多くが残り、そのうちのいくつかは重要文化財に指定されています。
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こちらはその一つ碓氷第3橋梁。

そしてアプト式鉄道の輸送力不足を解消するために1963年に複線で開通したのが2代目の碓氷線。
通称新線です。

アプト式を採用した旧線と違い、粘着式、いわゆる普通の鉄道と同じ方式でこの急勾配を克服。
一般に鉄道路線として碓氷峠、というならこの路線でしょう(たぶん)。

北陸新幹線長野開業とともにこの区間廃線となり、
特徴的であった電気機関車の全ての列車への連結も姿を消しました。


しかしながら未だこの区間に対する人気は高く、
現在もこの路線を観光鉄道として復活させる計画が進行中。
現在一部区間にはトロッコ列車が季節運行しています。

そのため廃線跡にはかつてとさほど変わらない光景が残っています。
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複線分の片方は遊歩道として整備されていますが。


そして最後が北陸新幹線。これのみが現役路線です。
ここまでの3線と違いかなり山奥を通っていますが、これも一応碓氷峠の鉄道でしょう。
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碓氷峠区間のほとんどがトンネルであり、地上に出るのはこの写真の区間のみ。
まぁ、趣味的には面白くないところです。



さて今後紹介していくのは上に挙げた初代碓氷線、2台目碓氷線の廃線遺構。
橋梁・トンネルなどを中心に紹介して行きたいと思っています。


最後に注意点を。
今後紹介していく区間を自分の目でも見てみたい。

そう思うのは自由です。

しかしここ、熊が出ます。蜂も出ます。サルも出ます。
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気を付けてください。
何か起きても当方責任取りません。

そしてトンネル内部や橋梁など。
破壊活動などを行わないのはもちろんのこと、仮に侵入するにしても自己責任でお願いします。
(基本的には立ち入り禁止ですし)

旧線は明治期の建造物です。強度的には非常に不安があってもおかしくありません。

だったら新線なら大丈夫か、というとそういうわけでもありません。
あくまで噂ですが、トンネル内から死体が出た、なんて話も。

どう判断するかは自由です。


また、新線のほうは現在も年に何度か保守点検が行われています。


とりあえず今後は近場の廃線跡歩きの記事と交互に更新して行こうかと思っています。
まぁいつまで続くか分かりませんけど。


まず次回は峠の下り方基点の横川駅から。