足尾の山の光と影と  紅葉の碓氷・足尾 その11

足尾駅から列車に乗り込み、駅を後にする直前。

車窓からの何げない風景がなんと色鮮やかに美しいことか。
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しかしこれもここまで限りの風景だったりするのですが。


列車に揺られてわずかにひと駅。
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終点、間藤に到着しました。

現在こそこうして細々と行楽客や通学のお客さんを運んでいるわたらせ渓谷鉄道
しかし、もともとこの路線の建設目的は足尾銅山から算出される鉱石の輸送なのです。

この終点間藤からさらに先へと、かつては貨物線として鉄路が続いていたのです。
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しかし足尾銅山閉山とともにその役目は薄れ、昭和62年には休止。
平成元年には足尾線が第3セクターわたらせ渓谷鉄道に移管。
この際にわたらせ渓谷鉄道はこの区間の免許を取得するものの、
その後平成10年にこれが失効となりました。

かつての隆盛も今は…
ただ風化していくに任せられているようです。


ひとまずせっかく来たのだからということで、
この先の廃線区間をたどってみることにしました。


…連れて来といて言うのもアレですけど、彼女連れで廃線探訪ってどうなんでしょう。



駅を出てからしばらくは明らかに痕跡が残っているようでしたが、
枯れ草の繁る線路跡を歩くのは厳しかろう、ということでいったん道路へ迂回。
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途中、通洞や足尾で行楽客の多くが下車して行ったこともあり、
ここ終点間藤は実に静かな雰囲気に満たされています。

ただまぁ、この静けさっていうのはやっぱり単純に人がいないだけってわけでもないように思えます。


これまであれほど色鮮やかであった渡良瀬川沿いの山々。
しかし…
たったひと駅来ただけで、その風景はあっという間に寒々しいものへと変わってしまいました。


教科書なんかで一度は目にしたことがあると思います。
足尾銅山鉱毒事件。

精錬時の燃料による排煙や、精製時に発生する鉱毒ガス、排水に含まれる鉱毒
これらが環境に与えた影響は多大なるものであり、
今もまだ、深い傷跡がこうして目に見える形で残っているのです。

まぁ、目の前の風景がどこまでその「傷跡」なのか、
正直よくわからないといえばわからなかったりもするのですけども。

それでもついさっきトロッコに揺られつつ見た風景との大きな大きな違いに…
どこか背筋が冷たいような、そんな思いがするのでした。



ちなみに彼女は足尾鉱毒事件知らないって言い放ちました。マジかよ。



まぁ、そんな話も心の片隅にとどめつつ。
線路側へ向かう道路を見つけ駆け寄ると、そこには線路を越える陸橋がかかっていました。
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こうしてみると線路は案外しっかりしてるようにも見えます。

でも枯草や枯葉に覆われて…
どうみても廃線跡状態なのは間違いないですね。

さらに進むと踏切が出現。
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警報機や柵がきれいにそのまま残っています。

和歌山の紀州鉄道では不要になった警報機はそうと見えないように処置はしてたけど…
ここは特にそういったことはしなかったようですね。


でもさすがに線路は埋められてしまってますね。
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視線を右手に向ければ。
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おぉ、切り通しがそのまま…

少しだけ奥へ進んでみました。
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かなりの勾配で下っているように見えます。

そういえば駅にあった勾配票は26.7‰だったっけ。


踏切部分を振り返って。
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踏切で道路と交差した線路はそのまま橋梁で対岸へと渡っていきます。
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踏切部分には有刺鉄線が張られ、さらに橋梁部分にもバリケード
厳重ですね。


とりあえずまた道路沿いに廃線跡を追っていきます。





つづく