足尾駅から列車に乗り込み、駅を後にする直前。
車窓からの何げない風景がなんと色鮮やかに美しいことか。
しかしこれもここまで限りの風景だったりするのですが。
しかしこれもここまで限りの風景だったりするのですが。
列車に揺られてわずかにひと駅。
終点、間藤に到着しました。
終点、間藤に到着しました。
この終点間藤からさらに先へと、かつては貨物線として鉄路が続いていたのです。
しかし足尾銅山閉山とともにその役目は薄れ、昭和62年には休止。
平成元年には足尾線が第3セクターわたらせ渓谷鉄道に移管。
この際にわたらせ渓谷鉄道はこの区間の免許を取得するものの、
その後平成10年にこれが失効となりました。
しかし足尾銅山閉山とともにその役目は薄れ、昭和62年には休止。
平成元年には足尾線が第3セクターわたらせ渓谷鉄道に移管。
この際にわたらせ渓谷鉄道はこの区間の免許を取得するものの、
その後平成10年にこれが失効となりました。
かつての隆盛も今は…
ただ風化していくに任せられているようです。
ただ風化していくに任せられているようです。
…連れて来といて言うのもアレですけど、彼女連れで廃線探訪ってどうなんでしょう。
駅を出てからしばらくは明らかに痕跡が残っているようでしたが、
枯れ草の繁る線路跡を歩くのは厳しかろう、ということでいったん道路へ迂回。
途中、通洞や足尾で行楽客の多くが下車して行ったこともあり、
ここ終点間藤は実に静かな雰囲気に満たされています。
枯れ草の繁る線路跡を歩くのは厳しかろう、ということでいったん道路へ迂回。
途中、通洞や足尾で行楽客の多くが下車して行ったこともあり、
ここ終点間藤は実に静かな雰囲気に満たされています。
ただまぁ、この静けさっていうのはやっぱり単純に人がいないだけってわけでもないように思えます。
まぁ、目の前の風景がどこまでその「傷跡」なのか、
正直よくわからないといえばわからなかったりもするのですけども。
正直よくわからないといえばわからなかったりもするのですけども。
ちなみに彼女は足尾鉱毒事件知らないって言い放ちました。マジかよ。
まぁ、そんな話も心の片隅にとどめつつ。
線路側へ向かう道路を見つけ駆け寄ると、そこには線路を越える陸橋がかかっていました。
こうしてみると線路は案外しっかりしてるようにも見えます。
線路側へ向かう道路を見つけ駆け寄ると、そこには線路を越える陸橋がかかっていました。
こうしてみると線路は案外しっかりしてるようにも見えます。
さらに進むと踏切が出現。
警報機や柵がきれいにそのまま残っています。
警報機や柵がきれいにそのまま残っています。
でもさすがに線路は埋められてしまってますね。
視線を右手に向ければ。
おぉ、切り通しがそのまま…
おぉ、切り通しがそのまま…
少しだけ奥へ進んでみました。
かなりの勾配で下っているように見えます。
かなりの勾配で下っているように見えます。
そういえば駅にあった勾配票は26.7‰だったっけ。
踏切部分を振り返って。
とりあえずまた道路沿いに廃線跡を追っていきます。
つづく