お礼の言葉は返せないまま

中3のとき、何気なく友人に
「今度ウチの親父教頭試験受けんねん」って話をしました。


教頭試験とは文字通り教頭先生になるための試験のこと。
これに合格しないと教頭先生にはなれません。

自分がしたのはただ「受けるねん」ってだけのお話。
ところが友人から出たのは何を勘違いしたか「マジで!おめでとう!」という言葉。

いや、受けるだけでまだ合格するかどうかはわかんねぇんだよ(苦笑)。
それだけでその場のその話題は終了となりました。


それからもう7年。
…今年も彼の勘違いに「ありがとう」が返せないままです。



今年もまた親父は落ちたのです。
これで8連続。

それも筆記試験で落ちてしまいました。
前回は筆記を突破して面接までいったのに。


3年ほど前から「もう今年で終わりにしようか」なんて言葉は出ていました。
まぁ結局1年経てばその言葉は無かったことにして試験対策に励んでいた訳ですけど。

ただ今回だいぶダメージ大きかったようで、割とマジな雰囲気でこの言葉が出ています。


というのも、実は試験に際して年齢だかなんだかで制限があるとかで、
親父が受験できるのは次が最後なのだそうです。

「最後の最後まで全部ダメ、となったらダメージが大きすぎるから…」とのこと。
ずいぶん弱気というか。まぁそれだけ今回ショックだったんでしょう。


まぁこういう形式の試験っていうのは学生が受けるような普通の試験と違って、
揺るぐことの無い確固たる正解、みたいなものが存在しないですからね。

そういうあたりが詰め込み型というか目標に向かってコツコツ積み上げていくような
いわゆる努力タイプの父にはそういうのしんどかったのかもしれません。

向かうべき目標がはっきりしないテストには弱いっぽいです。

点数は取れる人なんだけど、どこか融通が利かないというかそんなところあるんですよね。
まぁ点数取れず融通も利かない自分が言うのもアレなんですけど。


親父の学生時代の話なんか酔うたびに聞かされるんですけど、
ここまで大体は努力を成果としてつなげてきている人なんですよね。
だからこそ頑張ったのに全然報われない、というのにさすがに心折られかけのようです。



でも普通に筆記くらいは通ると思ってたんですけどねー。
去年は筆記の評価は高かったらしいし。

ただまぁ面接で落ちるんじゃないかとは思ってましたけどね。
だって去年落ちた後「あの短い時間でアピールできるわけ無いやん」なんて言い訳してるんだもん。

面接時間は受験者全員同じようなもんですやん。
合格してる人は当然その時間でしっかりアピールできてるわけで。
時間の長さってのは言い訳にならないし、しちゃいけないと思うんですよねー。

まぁ、何かしらに理由をつけて自分へのストレスを回避する、
防衛機制の一環だったのかも知れないですけど。


来年はどうするのかなぁ。
「ありがとう」は永遠に返せないままになっちゃうんだろうか。

なにせ大学教員の試験を受けようかとか訳分からんことまで言い出しましたからね。
どうなるやら。


個人的には頑張ってほしいと思ってるんですけどね。
本人のやる気の問題もあるしあんまり他人がどうこう言うのもな。