三木鉄道跡の現況・国包駅と厄神駅

常観寺前。
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ここも結構好きだったけどなぁ。


国包駅。
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カプセル駅舎に埋め込まれた駅名板は両面ともそのままでした。
まぁ撤去するにも持っていくにも一苦労あるでしょうしねぇ。

時刻表その他が残っているのはここまで同様。
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しかし蛍光灯がありません。

蛍光灯の撤去基準がわかんね…

ていうか三木駅がキレイさっぱりだっただけに、他の駅の手抜きっぷりが実に意外です。

時刻表も回収されてたのは三木・高木・別所までだけなんですよね。


ホームの駅名板は回収されています。
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一応これは回収したんでしょうか。

ホーム側から駅舎を。
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廃止前に駅舎前に飾り付けてあった飾りなんかは全部無いですね。

この駅舎はどうするんでしょうね。
わざわざお金かけてまで解体するかなぁ。
石野や別所は木造だから手入れしないと危険な状態になって早々の解体が必要になるだろうけど、
こっちはコンクリだからほっといてもどうでもいいように見えるんだよなぁ。

でもまぁいつまでも置いとくわけにもいかないか。

自転車飛ばして最後の厄神駅
跨線橋から。
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ここは三木鉄道側の駅名板、時刻表、番線表示が撤去されていました。

めんどくさいので中には入っていませんが。

改札前には代替バスの案内。
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三木駅を経由して神鉄恵比寿駅までの運行となるようです。

三木の市街に中途半端な接続だった三木鉄道から、神鉄への連絡を取った代替バスへ。
こっちの方が便利になり、需要にもあっているのかもしれません。


三木駅までの料金はかつてと変わらず。
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バス代替も料金を値上げしてなお赤字、なんて話を聞いた記憶があったのでちょっと意外でした。




厄神の改札で18きっぷを購入し、ここで撤収。

まぁなんというか、あれほど通った三木鉄道もついに思い出の向こうに、
そんな思いを再確認しに行った形になりましたね。

廃止間際の喧騒の記憶だけが強烈で、
こんなに静かな三木鉄道周辺は久しぶりでした。

それがいいことなのかどうかはちょっとわかんないんですけど。


でもこうやって無くなってから見ると、
やっぱりなんでこんなところに鉄道が走ってたのかよくわかんないんですよね。
公共の輸送機関の必要性が全然無いって感じ。

やっぱり鉄道としての存続でなく、
さっさとバス転換していても問題なかったんじゃないのか、と思いました。

鉄道として3セク転換してまで残すなら、
やっぱりそれは地元が一体となってこの鉄道を支援すべきだったし、
鉄道の側ももっと何かを考えるべきだったと思います。


転換当初は知らないけれど、ここ最近に関してはそんな動きなんて全くありませんでしたよね。


いまやローカル線は「ただ鉄道を走らせているだけ」では許されない時代。
そんな中で何にも動きを見せなければ、
自然とこういう方向に動きが進むのはもう当然だったかと思います。


まぁ、ここを今後訪れることはもうそう無いんじゃないかな。
訪れる理由自体がもう無いし。18きっぷも大回りで買った方が安いから。

そういいつつもまぁ、一応は好きな鉄道だったし
何かしら縁があったらまた来ないでもないかな、っていうくらいには思ってますけどね。

まぁでも三木鉄道追っかけは改めてここで一区切りがついた、と思ってます。


・「三木鉄道跡の現況」終わり。